佐賀県の島=玄海諸島向島
向島
向島地図
向島(むくしま)玄海諸島
秀吉が“向こうの島”と呼んだ島
住所/佐賀県唐津市肥前町向嶋
面積/0.30km2周囲/4.0km標高/66.7m
人口/50人(R2)・56人(H27)・72人(H22)・90人(H17)・95人(H12)・131人(H7)国勢調査
アクセス/【船】星賀港→向島漁港(15分)
概要
唐津市肥前町は東松浦半島の付根から西へ突き出た入野半島一帯の地域で、向島は肥前町納所(のうさ)の北西約2.5kmの海上に位置する。南部に小高く盛り上がったクラマ岳(67m)が特徴的で、港がある南東側を除いて断崖が続く。なかでも北海岸の「たて岩」は、みごとな玄武岩の柱状節理だ。
向島行きの定期船は「鷹島肥前大橋」のふもとにある星賀(ほしか)港から1日2便、片道15分で運航している。星賀港は天然の良港として長崎や北部九州へ向う貨物船の寄港地として栄えてきが、時代とともにその数を減らし、今では沿岸漁業の一本釣り漁船が並ぶ静かな漁港といった佇まいを見せている。「鷹島肥前大橋」は長崎県の鷹島と肥前町を結ぶ橋長1,251mの斜張橋で、平成21年4月18日に開通した。星賀港は大橋の全景を眺めることができる絶好のビュースポットの一つ。夕陽に映える斜張橋の姿は長閑な海と山の景色に建造物の新たな輝きを加えている。
定住の始まりは、文禄年間(1592~1596年)の頃だと言われている。松浦の有力豪族だった波多氏は、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に命令に背いたとして、文禄2年(1593)に所領を没収され追放離散の憂き目にあっている。その時に一族の一派がこの向島へと移り住み、代々島の歴史を刻んできた。
産業は近海での漁や磯での採貝などが中心で、好漁場を生かした釣り船も人気を呼んでいる。特産品はサザエ、ウニ、アワビなどが挙げられるが、ウニに味噌を混ぜて作る「がぜみそ」は古くから島の味として親しまれている。
向島に流れてきた静かな時間は、あちらこちらに奇妙な伝説と地名を残している。「金山(きんざん)ぶつぶつ」、「海賊と宝と洞窟」、「悲恋!おたよさん」などなど・・・。
「金山ぶつぶつ」とは、真夜中になると人の話声がブツブツと聞こえてくるという所で、昔はここで金の採掘が行われていたが、大きな金脈が見つからず、後に無縁仏を葬ったお墓になったという神霊スポットのような所だ。多分、小さな洞窟に波や風の音が共鳴して、そのように聞こえたのではないか? 実際にその音を聞いたという人はあまりいないようだ・・・。
海賊と宝と洞窟」とは、北側のタテ岩の辺りにある洞窟の話で、その昔、秀吉に追われた武将が身を隠し、財宝を埋めたといわれる洞窟。海賊に襲われた島民が逃げ込み、中で焚き火をしたために見つかって殺されたなど、いろいろな話が聞こえてくる。
悲恋!おたよさん」 は、禁断の恋を犯してしまった“おたよ”という娘さんが、この島に流され処刑されてしまったという話。実際に八坂神社の近くにお墓がある。江戸時代の姦通罪はとても厳しくて、死罪が言い渡された。恋も迂闊にはできなかったのかもしれない。
毎年8月1には、八坂神社の祭り「向島祇園」が催される。「にぎわい見るなら博多の祇園、酔いどれ見るなら向島祇園」と言われ、島外からも見物人が訪れる。

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18/07/21---Copyright(C)日本の島へ行こう All rights reserved.