●南大東島(みなみだいとうじま)[
大東諸島]
★台風情報でおなじみの島
●住所/沖縄県島尻郡南大東村
●面積/30.57km2
●周囲/21.2km
●標高/75.1m
●人口/1,285人(R2)・1,329人(H27)・1,442人(H22)・1,448人(H17)・1,445人(H12)・1,473人(H7)国勢調査
●アクセス/【飛行機:
南大東空港】
JAL(
琉球エアコミューター)
沖縄・
那覇空港→南大東空港(約1時間)/
北大東島経由便は1時間45分
【船】[
大東海運]
那覇泊港→南大東島(13時間)/
北大東島→南大東島(40分)
概要
★北緯25度50分、東経131度14分、沖縄本島から東へ約340kmの海上に浮かぶ島。浮かぶという表現がぴったりなほど、横から見ると平らで一枚の板が漂っているかのようだ。実際には海底火山が隆起した所に長い年月を経て珊瑚礁が堆積し、さらに隆起を繰り返してできた島で、周りは断崖がとり囲み中央部分が窪んでお盆のような形をしている。
★北東8kmには北大東島、そして150kmほど南下すると無人島の沖大東島がある。沖縄県島尻郡に属し、この3つの島で大東諸島を成している。琉球弧から外れていることや、定住の歴史などから沖縄県の他の島々とは少し雰囲気が違っている。
歴史
★17世紀の半ば頃にはその存在が漠然とは知られていたようだが、はっきりと地図に載るようになったのは19世紀のことだ。発見したロシアの艦船の名前が「ボロジノ」だったことから、その名にちなんで、ヨーロッパの地図にはボロジノ諸島と記載されていた。また沖縄島の人達にも古くからその存在は知られており、“遥か東にある島”という意味の「ウフアガリ島」と呼ばれ、ニライカナイ信仰の対象にもなっていた。
★大東島の歴史は
玉置半右衛門を抜きにしては語れない。玉置半右衛門は八丈島出身の実業家で、伊豆諸島の南のはずれにある鳥島でアホウドリの羽毛やリン鉱石の採取によって巨万の富を築いた人物として知られている。西洋で羽毛の需要があることを知った半右衛門は、アホウドリの大繁殖地だった鳥島に目を付け乱獲を始める。水が乏しい鳥島での生活は困難なものだったが、アホウドリの捕獲は比較的容易で、商売はすぐに巨額の利益を生み、豪商として名を馳せることになった。
★そして半右衛門のさらなる野心は南大東島へと向けられた。明治政府から大東島の貸与を許可され、1900年(明治33年)に20人余りの開拓団を南大東島へ派遣する。断崖に囲まれた島への上陸は困難を極めたが、開拓団はそれを乗り越え上陸に成功。密林を開拓し、過酷な労働の末、サトウキビの栽培に成功した。
★鳥島・南大東島・北大東島・沖大東島と4つの未開の島を開拓した玉置半右衛門の不屈のフロンティア精神は称えられ記念碑も建てられている。しかし、一方では鳥島のアホウドリを撲殺、乱獲の末絶滅の危機に追いやった張本人として、また鳥島や大東島での労働者に対する不当な搾取などマイナスのイメージも同時に語られている。
文化と自然
★大東島の文化は八丈島(関東)と沖縄のものが入り混じった独特のものだ。開拓者の多くが八丈島出身だったことや、後の入植を沖縄から募ったことによる。島の名物である「大東そば」や「大東寿司」、「大東ようかん」等はその特色をよく表している。
★沖縄島や九州本土から遠く離れた絶海に浮かぶ南・北大東島は自然界においてもたくさんの固有種を育んできた。
ダイトウオオコウモリ(国指定天然記念物)、
大東犬、ダイトウコノハズク、ダイトウヒヨドリ、ダイトウメジロ等々。
★ふるさと文化センターには開拓時代の資料や実際に使った農機具、サトウキビを運搬したシュガートレインなどが展示されている。
シュガートレインは1916年から'79年まで蒸気機関車で運行。その後'83年に廃線となるまでディーゼルが運行していた。現在このシュガートレインを復活させようという動きがあり、2015年の完成を目指し話が進められている。実現すれば県内離島で唯一、さらに全国最南端の鉄道ということで観光客の増加が期待できそうだ。
★中央部には多くの池が点在している。なかでも一番北にあり面積が大きい大池の北岸には「
オヒルギ群落」が見られ、淡水に群生するマングローブとして世界的にも珍しいものとして国の天然記念物に指定されている。
★南大東島には海水浴ができるような砂浜はないが、海岸の岩場をくり抜いたプールが2箇所ある。南東にある「
海軍棒プール」と南西にある「
塩屋海水プール」。エビや魚と一緒に泳げるプールは楽しそうだ。満潮時や波が高い日は遊泳禁止。国土交通省が選ぶ「
島の宝100景」に『
海辺の海水プール(pdf)』で選ばれた。