長崎県の島平戸諸島小値賀島
小値賀島写真
小値賀島
小値賀島(おぢかじま)平戸諸島][小値賀諸島
遣唐使が眺めた夕陽
住所/長崎県小値賀町
面積/12.22km2周囲/57.3km標高/111.3m
人口/2,017人(R2)・2,229人(H27)・2,433人(H22)・2,758人(H17)・3,149人(H12)・3,483人(H7)国勢調査
アクセス/[九州商船
【高速船】佐世保港宇久島→小値賀港(1時間37分)/上五島・有川港→小値賀島(39分)
【フェリー】佐世保港→宇久島→小値賀港(3時間20分)/博多港→宇久島→小値賀港(5時間)
【空】小値賀空港は現在閉鎖中
概要
小値賀漁港
小値賀島は五島列島の北端に位置する。一般的には五島列島に数えられることが多いが、行政区画上は平戸諸島に属する。
小値賀諸島は数十万年前の火山噴火によって生成されたもので、溶岩粘土が低かったことで全体的に平らで窪地が多く、海岸線はリアス式をしている。最高点は東端にある本城岳(111m)、二番目は中央にある番岳(105m)。
五島列島のことを古事記では「知訶(ちか)島」、日本書紀では「血鹿(ちか)島」との記述があることから、“おぢか(小値賀)”という地名はその名残だと言われている。また、古事記にイザナギとイザナミが最後に生んだ「両児島(ふたごのしま)」だという説もあるが、各地にその候補地があり比定は難しい。一般的には、五島の南西に浮かぶ男女群島だとされている。
粘土の低い溶岩はたくさんの小島を作り出したが、元々この小値賀島も2つに分かれた島だった。それを、建武元年(1334)に平戸藩主松浦定公が干拓を行い一つの島に繋げたもの。当時の技術では埋め立ても困難を極め、多くの犠牲も出たようで、中村郷には犠牲になった牛の霊を鎮めるための「牛の塔」が残されている。
古代には遣唐使船が寄港し異文化が伝わる島だったが、今では毎年開催される「おぢか国際音楽祭」でコンサートや講習会、パーティなどを通じて国際交流が行われている。
島のお母さんとの別れ
2009年『島のお母さんとの別れ』で「島の宝100景」に選ばれた。
■観光:五両だき…長い年月の海食によってできた赤い断崖。善所城跡…松平定公の居城跡。新田神社がある。姫の松原…450m続く松並木、日本の名松100選。新・日本の街路樹百景。碇石(いかりいし)…遣唐使船が寄港。周囲の海からは6本の碇石が引き上げられている。愛宕山園地(あたごやまえんち)…宇久島や五島の景色が一望できる。牛の塔…鎌倉時代に二つの島を繋げるために行われた干拓で犠牲になった牛を供養したもの。赤浜海岸公園…火山礫の赤い砂浜公園がある。番岳…標高105m。江戸時代に遠見番所が置かれていた。
■特産品:ウニ、アワビ、サザエ、ワカメなどの海産物。魚もイサキを「値賀咲(ちかさき)」、タチウオを「白銀(はくぎん)」としてブランド化。農産物はメロン、スイカ、キヌサヤエンドウ等。

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