長崎県の島松島
松島
松島地図
松島(まつしま)
昔は採掘、今は輸入。石炭の島
住所/長崎県西海市大瀬戸町松島
面積/6.39km2周囲/16.3km標高/217.1m
人口/496人(R2)・534人(H27)・605人(H22)・677人(H17)・789人(H12)・935人(H7)国勢調査
アクセス/[西海市営交通船][西海沿岸商船][江崎海陸運送
[定期船]瀬戸港→松島港(10分)/[フェリー]瀬戸港→松島港(25分)/[高速船]佐世保港→大島→松島(50分)
概要
松島は西彼杵半島北部、西海市の沿岸に浮かぶ。瀬戸港から1km程の距離にある。江戸期以前は地元の漁師などの出入りはあったものの、人家もあまり見られず松林が茂っていたので松島と名づけられた。
江戸期に入ると大村藩によって島の頂上(217m)に遠見番所が置かれ、釜浦辺りに定住する者もいた。元禄期に松島水道で鯨漁が行われるようになると西泊の港は一気に活況を呈するようになった。元禄8年(1695年)、平島よりこの地に移り住んで捕鯨を始めた深沢与五郎はたちまち巨万の富を築き、松島鯨組は広く世間に知れわたった。その後100年程クジラの時代が続いたが、今では西泊の正定院に残る与五郎の大きな墓が当時の繁栄を偲ばせるのみとなった。
捕鯨とともに松島を繁栄させたものに石炭がある。古くから燃える黒い石のことは知られていたが、松島で採掘が始められたのは天明2年(1782年)のこと。採掘といっても最初の頃は需要も少なく技術も乏しかったので大掛かりなものではなかったが、製塩や黒船の燃料としてその価値が見出されてくると、次第に生産に力が入れられるようになった。
明治、大正、昭和と石炭は国の基幹産業へと発展し、松島も大正時代の終わりに人口13,000人を数えた。しかし、昭和9年の炭鉱事故やその後の石炭産業の衰退とともに同38年に松島炭鉱は閉山している。
現在は石炭の採掘は行われていないが、昭和56年に操業を開始した電源開発(株)松島火力発電所が石炭による火力発電を行い、九州・四国・中国の各電力会社に電力を供給している。燃料となる石炭は中国やオーストラリアからの輸入炭を使い、100万kwの出力を誇っている。
見どころ
日本一小さい公園
マリンスポーツやダイビングが楽しめる美しい海。「遠見岳展望所」から望む五島灘や佐世保の景色。松島神社の桜。夕陽が美しい「千畳敷」。ネーミングが面白い「日本一小さな公園」。かつての繁栄を偲ばせる「松島炭鉱四坑跡」。静かでのどかな「外平海水浴場」。

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