●大久野島(おおくのしま)
★負の遺産はウサギの楽園
●住所/広島県竹原市忠海町大久野島
●面積/0.7km2
●周囲/4.3km
●標高/95.7m
●人口/21人(R2)・15人(H27)・26人(H22)・15人(H17)・18人(H12)・30人(H7)国勢調査
●アクセス/【フェリー】
忠海港→大久野島(12分)[休暇村客船・
大三島フェリー]
大三島・盛港→大久野島(13分)[
時刻表]
概要
★広島県竹原市の忠海(ただのうみ)港から定期船で12分、かつて“毒ガス島”と呼ばれた大久野島が浮かぶ。島には3つの鉄塔が建ち、山頂の大鉄塔は高さ226m、東洋一と言われる大きな目印だ。昭和46年に島外から持ち込まれた8羽のウサギが700羽にも増え、砲台跡の石積みにも毒ガス工場の廃墟にもたくさん屯(たむろ)する“ウサギの楽園”。そして、休暇村の大きなホテル、温泉、プール、テニスコート。この島で危険な汗を流した若者達がウサギに変身して遊んでいるようだ。
芸予要塞---------------------------------------------
★もともとは村上水軍の末裔が移り住んだとも噂される静かな島だったが、明治30年(1897)に旧帝国陸軍の要塞建設が始まり、軍の島として歴史が刻まれていくことになる。
芸予要塞は瀬戸内海防衛の一環として忠海海峡(大久野島)と来島海峡(小島)に軍事施設を構築したもので、大久野島には3カ所に砲台が設置されている。
北部砲台と
南部砲台は明治33年に竣工。カノン砲が配備されていた。北部砲台は石積みの台座跡などが残されている。
中部堡塁は明治34年に竣工、榴弾砲が6門配備されていた。
毒ガス工場-------------------------------------------
★日露戦争、第一次世界大戦と世界の対立が深まるなか、大久野島の大砲は撤去されていったが、その後も軍との関係は続き、昭和2年(1927)に陸軍の毒ガス工場誘致が決定する。昭和4年から太平洋戦争時まで生産が行われ、延べ6,500人にも及ぶ人員が工場に従事したと言われている。しかし、毒ガスの製造は国家機密とされ、関係者の言論統制はもちろん島の存在自体が地図から消し去られ、後に“地図から消された島”としてクローズアップされるまで大久野島の実態が世の中に露見することはなかった。
長浦毒ガス貯蔵庫跡…島の北部に造られた大きな貯蔵庫跡。廃墟となったコンクリートの壁には火炎放射器で焼き払った跡が今なお残る。
旧軍発電場跡…蔦が這う大きなコンクリートの廃屋。施設内の8基の発電機は戦後に撤去され、後の朝鮮戦争時には米軍の弾薬庫として使用されていた。現在は老朽化のため内部は立ち入り禁止になっている。
毒ガス資料館…昭和4年から終戦間近までこの島で毒ガスが製造され、戦場のみならず製造過程および戦後処理においても死傷者、また後遺症に苦しむ犠牲者を出した事実を後世に伝えるため、昭和63年に建設されたもの。
休暇村-----------------------------------------------
★大久野島は昭和38年に
国民休暇村に指定された。地上4階建ての大きなホテル(
休暇村 大久野島)、日帰りでも利用できる天然ラドン温泉、プール、テニスコート、キャンプ場、海水浴場、島を1周できるウォーキングコースなどのレクリエーション施設が運営されている。
ネイチャーステーション…かつて研究室と薬品庫として使われていた施設を整備したもので、レンタサイクルやテニスラケットなどの貸し出しが行われている。
ビジターセンター…平成15年にオープンした環境省の施設。大久野島の歴史や自然を紹介する展示コーナー、レクチャールーム、竹和紙作りを体験できる工房などがある。入場無料なので島を訪れたらここの案内カウンターで気軽に情報を仕入れることができる。