佐賀県の島=玄海諸島高島
高島
高島地図
高島(たかしま)玄海諸島
当っても当らなくても宝当神社
住所/佐賀県唐津市高島
面積/0.62km2周囲/3.0km標高/169.6m
人口/187人(R2)・241人(H27)・306人(H22)・346人(H17)・368人(H12)・402人(H7)国勢調査
アクセス/【定期船】唐津港(宝当桟橋)→高島港(11分)
唐津港から海上タクシーも有り。
概要
唐津の海岸は虹ノ松原や唐津城などの美しい景観で知られているが、海を眺めると鳥島、高島、神集島などの小島がアクセントを与えている。高島は山が侵食されて台形をしているのでどこから見てもすぐに分かる。こういった地形をメサ(テーブル状台地)と言うそうだが、台地の上には何かがありそうで気になるものだ。
標高は170mほどで、南側に緩やかな傾斜が続き、その先の平坦な砂地に集落がある。もともとは静かな漁業の島だったが、島おこしとして宝当(ほうとう)神社を“宝くじが当たる神社”としてアピールしたことでTVにも取り上げられ、その御利益にあずかろうとたくさんの人が島を訪れるようになった。
定住の始まりは天正年間(1573~93年)のことだと言われている。それ以前も漁民の小規模な集落はあったようだが、筑前国吉井の海賊に度々襲われ安住の地ではなかった。それを救ったのが野崎綱吉という武将だった。綱吉は肥前草野家に仕えていた時、龍造寺隆信の軍に対して奮戦し手柄を立てたが、その若さと勇猛さゆえに家老達から妬まれ、家を追われ高島へと身を転じたのだった。高島では海賊に襲われたが、ひるむことなく立ち向かい撃退してしまう。以来、島を救った綱吉は島民から崇められる存在へとなり、氏神として山王宮に祀られた。後の塩屋神社だ。綱吉は天正13年(1586年)に32歳の若さでこの世を去ったが、その墓は綱吉神社として祀られ、島の守護神として代々語り継がれた。今でも島民の多くは野崎姓だという。
江戸時代は松浦川の河口や高島には塩田が開かれていた。明治43年には、その恵みに対して綱吉神社に「寶当神社」と書かれた鳥居が奉納された。以来綱吉神社は「寶当神社」と呼ばれるようになったが、この“寶当”が後に宝くじが当たる神社として注目集め観光客が訪れるようになった。鳥居が奉納されてからおよそ100年、ずっと御先祖様を大事にしてきたことへの報いとして御利益があったのだろう。『波にのり、夢もち帰る宝当復路(ほうとうふくろ)』「島の宝100景」。
宝くじばかりではなく島の自然に目を向けても恵みはある。周遊道路や頂上へと続く遊歩道、そして頂上の展望所からは遥か壱岐島も望める絶景が広がる。海岸には緑色のカンラン石や輝石を含んだ玄武岩を見つけることができる。これもまた高島のお宝だ。

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