●加部島(かべしま)[
玄海諸島]
★佐用姫、悲恋伝説
●住所/佐賀県唐津市呼子町加部島
●面積/2.72km2
●周囲/8km
●標高/112.1m
●人口/458人(R2)・533人(H27)・583人(H22)・748人(H12)・762人(H7)国勢調査
●アクセス/【車】呼子大橋で陸続きになっている
唐津・
大手口バスセンターからバスで45分[
昭和自動車]
概要
★東松浦半島の先端にある呼子はイカと朝市で有名なところ。加部島は呼子港の目の前にあり、玄界灘の荒波から港を守る天然の防波堤の役割を果たしている。断崖に囲まれ高台には畑や牧場が広がり、東側に集落がある。
★古くは「壁島」「嘉島」「神戸島」「姫島」「姫神島」等の表記が見られたようだが、壁のような断崖に囲まれた島から壁島と呼ばれたのが最初のようだ。「姫島」や「姫神島」というのは「田心姫(たごりひめ)・市杵島姫(いちきしまひめ)・湍津姫(たぎつひめ)」の三女神を祀る田島神社の影響がある。元和(1615~1624年)検地帳に「加部島」と表記があることから、江戸時代には現在と同じ「加部島」の字が使われていたと思われる。
★最高点は南側の天童岳(112m)で、その麓と対岸の殿ノ浦を結ぶ呼子大橋(272.8m)が開通したのは平成元年4月。それまでは呼子港からの定期船に頼る生活だったが、橋ができたことにより唐津と加部島の間にバスも運行し生活に変化をもたらした。美しい形の斜張橋は呼子の名所の一つになり、橋が見下ろせる「風の見える丘公園」、北側の草原には大海原が見渡せる「杉の原キャンプ場」、港には観光物産館などが整備され、次第に観光の島というイメージが定着しつつある。
★松浦という地名は魏志倭人伝に記される末盧(羅)国(まつらこく)に比定される所で、加部島にも古代の遺物や伝説が残されている。島の北部から発掘された古墳は6世紀初頭の前方後円墳(瓢塚古墳[ひさごづかこふん])で、中から須恵器、鉄器、玉類が見つかり、日本武尊(やまとたけるのみこと)の子・稚武王(わかたけおう)の墓だとも言われている。また、田島神社は『松浦古事記』に「天平3年(731年)、相殿に稚武王を配祀し、・・・」とあり、県下で最も古い神社とされている。そして、田島神社の境内には古代日本の悲恋物語・佐用姫(さよひめ)伝説にまつわる佐用姫神社がある。
★佐用姫伝説とは、朝廷の命を受け任那(みまな)、百済の救済のために、朝鮮へ出兵した武将・大伴狭手彦(おおとものさでひこ)と松浦の長者の娘・佐用姫の悲恋話。異国へと船出する狭手彦を加部島まで追いかけて見送り、悲しさのあまり死んでしまった娘の話だ。『日本書紀』では大伴狭手彦が朝鮮に渡ったのは宣化天皇2(537年)とあり、実際に百済を救った人物として記されている。佐用姫の話は『万葉集』や『肥前国風土記』にも語られ、後に能や演劇などでも取り上げられる人気の話だ。佐用姫が実在したかどうかは分からないが、1500年前の唐津の港には死をも覚悟の旅立ちと、それを見送る悲しい別れがたくさんあったことだろう。
★特産品は呼子イカ、呼子甘夏が有名で、4軒ある食堂ではイカ料理が楽しめる。お土産は甘夏ゼリー。島にはキャンプ場はあるが、宿泊施設はない。
★『
防風垣が守る畑地景観』「
にほんの里100選」