沖縄県の島宮古諸島多良間島
多良間島
多良間島図
多良間島(たらまじま)宮古諸島
宮古島と石垣島の間には八月踊り
住所/沖縄県宮古郡多良間村
面積/19.75km2周囲/19.0km標高/34.2m人口/1,058人(R2)・1,194人(H27)・1,227(H22)・1,365人(H17)・1,331人(H12)・1,401人(H7)国勢調査
アクセス/【空・多良間空港宮古空港→多良間空港(20分)
【船・多良間海運】宮古島・平良港→普天間港(2時間20分)
概要
多良間島は宮古島の西南西約60kmに位置する。10kmほど北にある水納島(みんなしま)と共に多良間村を成している。隆起サンゴ礁によって形成され、全体的に平坦で川はない。北部の集落以外はほとんどがサトウキビや葉タバコ等の畑と牛の放牧場で、縦横に農道が走っている。
宮古島からこの多良間島までが宮古諸島で、ここから南西へ約35kmの位置にある石垣島から先は八重山列島(諸島)になる。文化的には宮古、八重山と一括りにされがちだが、海によって隔てられた島々にはそれぞれ独自の文化が育まれ、古くからの遺産も継承されている。
奄美や沖縄の一部には「八月踊り」という祭りが残されている。奄美地方で催されているものは本土で行われる盆踊りに近いものだが、沖縄本島の名護市屋部や多良間島に伝わる八月踊りは伝統芸能の発表会のようなもので、催し物が幾つも演じられ、普通の盆踊りとは趣を異にしている。
多良間島に伝わる“八月踊り”は国指定無形民俗文化財。過酷だった人頭税を無事に納めることが出来たお祝いが起源だとも言われており、御願(ウガン)で演芸を神に奉納することで、来年の豊作をお願いするという意味も込められている。
多良間島の八月踊りは、毎年旧暦8月8・9・10日に土原御願(ンタバルウガン)とピトゥマタ御願の2箇所の祭場で開催され、「獅子舞、棒踊り、若衆踊り、女踊り、二才踊り、狂言、組踊り、総引き」という演目が次々に演じられる。この中の“組踊り”というものがメインの出し物。
“組踊り”とは舞踊や音楽を交えた物語劇で、玉城朝薫(たまぐすく ちょうくん)という人が日本本土の能や狂言を基に創作したものです。1719年に清の冊封使を迎えた時に演じられたのが最初だとされ、その後は琉球の士族階級の娯楽として持てはやされるようになった。明治維新を迎え琉球王国の消滅と共に士族階級も無くなり、しだいに組踊りも庶民の間に溶け込むようになり、それが多良間島にも伝わったようだ。組踊り自体は古いものだが、それが演目に取り入れられ、現在のような八月踊りの形になったのは明治20年代だと言われている。
多良間島にはもう一つ盛大に行われる祭りがある。「スツウプナカ」と呼ばれている祭りで、スツ=節、ウプナカ=祭り、という意味があり、農作業の節目に行われる豊年祭で、5月か6月の壬・癸の日に催される。集落をナガシガー、フダヤー、パイジュニ(ウイヤ)、アレーキと4つに分け、それぞれの祭場をツカシャ(神女)がお客を連れて順番に挨拶をし、酒を飲み食事をして周わる。どちらかというと八月踊りよりも庶民的なものだ。

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