沖縄県の島八重山諸島外離島・内離島
外離島・内離島
離島地図
外離島(そとぱなりじま)八重山諸島
裸の王様が住んでいる
住所/沖縄県八重山郡竹富町字西表
面積/1.32km2周囲/5.3km標高/146m人口/0人(H22)・1人(H17)・1人(H12)・1人(H7)
アクセス/西表島白浜・舟浮からチャーター船
概要
外離島
西表島には深い入り江がたくさんある。その中でも一番深くまで入り込んでいるのが西側にある舟浮湾。波が静かで景色もいいのでカヌーを楽しむ人の姿をよく見かける。地名が舟浮(ふなうき)というのが頷ける光景だ。そして湾から突き出るような形で内離島と外離島の2つの島が並んでる。
沖縄では「外」のことを「ほか」とか「ふか」、「離」は「ぱなり」と言うので、昔からの言い方では外離島は「ほかぱなり」あるいは「ふかぱなり」となる。ちなみに外離島の対岸にある集落「祖納(そない)」は古くは「すね」と言っていた。
歴史
祖納は西表島で最も古い集落で、14世紀頃にできた。対岸にある外離島には祖納から人が訪れていたことは想像できるが、集落はできたことはないようだ。
15世紀後半になると八重山の島々は群雄割拠、多くの豪族が主導権争いを始める。その頃祖納の地を治めていたのが外離島で生まれた“慶来慶田城用緒(けらいけだぐすく ようちょ)”という人だと言われている。
明治から昭和にかけて、西表島北西部や内離島は炭鉱採掘で賑わい、外離島にも戦後の一時期炭鉱が開かれた。その後炭鉱は廃れ、静かな無人島に戻った。時を経て平成10年頃には黒真珠の加工場が作られたが、今ではその作業場も朽ちるままになっている。
住人
外離島は基本的に無人島だ。しかし、1990年からこの島に一人で住み続けている老人がいた(住民登録はされていない)。頭に鉢巻をしているが全裸。福岡県出身で1935年12月13日生まれのNさん。まったくの自給自足かと思えばそうでもなく、毎月1万円をお姉さんから貰って、西表島へ買い物に行くそうだ。TVで放送されたこともあって知り合いもたくさんいる。日本の西の外れの小さな無人島で、浮世のしがらみを捨て、自然の中で自然のままの姿で自然に暮らす。それもまた楽しい人生かもしれない。
※2014年9月にNさんは外離島を離れている。TVで放映されて有名になりすぎたことが原因のようだ。島の所有者が風紀上よくないということで出て行ってもらったという。それで別の場所に移り住んだようだが、今度はそこが国有地で国から退去を言い渡されてしまった。
内離島(うちぱなりじま、なーれー)八重山諸島]
恐怖の納屋制度
住所/沖縄県八重山郡竹富町字西表
面積/2.10km2周囲/7.64km標高/193.8m人口/無人島
アクセス/西表島白浜・舟浮から遊覧船あり。他チャーター船
概要
内離島
内離島は西表島・白浜から700mほどの距離にある、北には外離島が並んでいる。潮が引くと外離島との間は砂嘴で繋がり、歩いて渡れるようになる。
炭鉱
古くから西表島の西部には石炭があることが知られていた。この内離島にも炭層が広がっており、石炭採掘で賑わった時代がある。採掘が始められたのは明治19年で、劣悪な環境やマラリアの被害に苦しめられ、何度も撤退を余儀なくされた。
炭鉱が軌道に乗り始めたのは大正期に入ってからだが、そこには過酷な労働に耐える炭坑扶達の姿があった。最初は囚人等が集められたが、採掘も本格的になると県外や台湾、中国などからも労働者が騙し同然に連れてこられ、「納屋制度」と呼ばれる仕組みの中で借金を負わされ、賃金を搾取され、いわゆる「タコ部屋労働」の下に強制労働を強いられ、過労で、マラリアで、落盤事故で多くの人が倒れていった。
その後、太平洋戦争による人手不足と物資不足で炭鉱も休止状態になる。そして、戦後の復興で炭鉱も再開したが、採算が取れずに次第に廃れていった。それと共に内離島の人口も減少し、昭和57年に無人島になっている。
現在の内離島はジャングルの中にトロッコレール跡や共同風呂の跡、坑口跡などが当時の面影を忍ばせているが、かつてこの地で何千人もの人が泥と汗にまみれ、命を削っていたとは想像もできないほどの静けさだ。

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