沖縄県の島慶良間諸島前島・中島・ハテ島
前島
前島図
前島(まえじま)慶良間諸島
めーげらま王国
住所/沖縄県島尻郡渡嘉敷村前島
面積/1.60km2周囲/7.0km標高/132.8m人口/0人(R2)・0人(H27)・4人(H22)・5人(H17・住民登録)・2人(H15・住民登録)・0人(H7)
アクセス/那覇からチャーター(約1時間30分)/渡嘉敷島からは約30分
概要
前島は地元の人はメージマとかメーゲラマと呼ぶ。那覇から向うと慶良間の手前の方にあるので、前慶良間(メーケラマ)→“めーげらま”となる。
渡嘉敷島の東約7km、那覇からは西へ約20km、チービシ環礁(慶伊瀬島)と渡嘉敷島の間にある細長い島。北に続くウガン島、中島、ハテ島を含めてサンゴの環礁の中にあるため周囲の砂浜は白く、海はエメラルドグリーンをしている。しかし、隆起珊瑚礁の島にありがちな平坦さは無く、どの島も緑に覆われ山が盛り上がっている。
戦前はこの森のリュウキュウ松などを利用した薪(たきぎ)の産地になっていた。この薪は“慶良間薪(けらまたきぎ)”あるいは“キラマダムン”というブランドとして知られており、火付きが良いキラマダムンは良質の燃料として重宝されていた。
戦前、戦後とカツオ漁が盛んで、昭和30年には水道施設も完備され、小学校も開校した。しかし、度重なる台風の被害やカツオ漁の不振などにより、昭和37年(1962年)には全島民36人が沖縄本島へ移住、無人島となった。
昭和60年頃から平成4年まで3人の定住が確認されているが、島は荒れるがままといった状態だった。しかし、前島が故郷だという人もたくさんいて、「もう一度自分の故郷を人が住む島にしたい」と力を注ぐ人も現れたが、なかなか再興は難しかったようだ。
ウガン島(拝島)・中島
神を祀る島
面積/0.18km2周囲/?km標高/94m人口/無人島
アクセス/干潮時には前島と陸続きになる。
概要
地図には中島や仲島とあるが、前島のすぐ北にある島をウガン島(拝島)、次の小島を中島と呼ぶこともある。
前島、ウガン島、中島、ハテ島は一つのサンゴの環礁の中にあるため、周りには浅瀬が広がっており、干潮の時には全部の島が歩いて渡れるようになる。
ウガン島は漢字では拝島と書くように、昔はニライカナイ神が祀られる御嶽(おたき)とされていた。ニライカナイとは奄美地方や琉球に伝わる“あの世(幸せの国)”、あるいはそこへ通じる入口のようなものと信じられている。例えば、死んだ者はこのウガン島の御嶽からあの世へ旅立ち、幸福をもたらす神はこの御嶽からこの世に降りてくるといった具合だ。
ハテ島(端島)
最後の島には灯台
面積/0.14km2周囲/1.5km標高/62m人口/無人島
アクセス/干潮時には前島と陸続きになる。
概要
前島の一番遠くにあるのでハテ島(端島)。ひょうたん島のような形をしている。島の先端付近には小さな端島灯台(昭和55年3月30日初点灯)が立っている。

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