沖縄県の島沖縄諸島古宇利島
古宇利島
古宇利島図
古宇利島(こうりじま)沖縄諸島]
エデンの園
住所/沖縄県国頭群今帰仁村字古宇利
面積/3.12km2周囲/7.9km標高/106.9m人口/299人(R2)・346人(H27)・352人(H22)・?人(H17)・336人(H12)・347人(H7)国勢調査
アクセス/国道58号線→県道110号線→奥武島→屋我地島→古宇利島(名護市役所前から40分程/許田ICから50分程)
概要
昔、古宇利島に空から男女二人の子供が降ってきた。彼らは全くの裸であり毎日天から落ちる餅を食べて幸福に暮らしていた。最初はそれに疑問を抱かなかったが、ある日餅が降らなくなったらどうしようという疑念を起こし、毎日少しずつ食べ残すようになった。ところが二人が貯えを始めたときから餅は降らなくなった。二人は天の月に向かい声を嗄らして歌ったが餅が二度と降ってくることはなかった。二人は生活と労働の苦しみを知り、ジュゴンの交尾を見て男女の違いを意識し、恥部を蒲の葉で隠すようになった。この二人の子孫が増え琉球人の祖となった、と云う神話である。[Wikipedia古宇利島より抜粋
旧約聖書のアダムとイブの話によく似ている。
沖縄のキリスト教伝来は1622年、石垣島に寄港した南蛮船によって伝えられたと言われている。琉球とキリスト教の関係はあまり密接ではないような気もするが、何処からともなく聖書の話が伝わり、古宇利島の古い歴史と絡まって人類発祥伝説が生まれたとしてもおかしくはない。
14世紀~15世紀初期の沖縄は三山鼎立(ていりつ)と呼ばれている時代、北山、中山、南山の3つの勢力が支配していた。そのなかの北山の拠点になっていたのが今帰仁城だ。今帰仁城から東の海を眺めると古宇利島が見える。昔、古宇利島は“クイジマ”あるいは“フイジマ”と呼ばれていた。クイとかフイというのは「海の向こうの地」という意味で、海の向こうに見える丸い台地に特別な世界を感じていたのかもしれない。
古宇利島には北山時代の古いグスク(城)跡や、古宇利港の近くには先史時代の古宇利原遺跡も発掘されている。自分達が辿れないほどの昔から、この地に人が住んでいたことを肌で感じていた島の人々は、いつしか先祖と自然の恵みに対して祈りを捧げるようになった。沖縄の最初の人間が降り立ったと言われるチグヌ浜で、毎年旧暦7月の盆明け亥の日に海神(ウンジャミ)祭の儀式が行われる。海の彼方から幸福を運んでくれる神を迎え、そして送る。古式ゆかしい伝統行事が残る古宇利島。しかし、一方では祭祀を執り行うカミンチュ(神人)も、高齢化により数を減らしているという現実もある。
屋我地島と古宇利島を結ぶ古宇利大橋は2005年2月8日開通。以前は運天港からフェリーが島の生活を支えていた。今ではエメラルドグリーンの海の上を真っ直ぐに伸びる全長1,960mの橋が人々をエデンの園へと導いてくれる。

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