沖縄県の島八重山諸島新城島
新城島
新城島
新城島(あらぐすくじま:パナリ島)八重山諸島
人を寄せ付けない神秘の島
住所/沖縄県八重山郡竹富町字新城
面積/上地島1.76km2・下地島1.58km2周囲/上地島6.2km・下地島4.8km標高/上地島12.3m・下地島20.4m
人口/10人(R2)・10人(H27)・16人(H22)・11人(H21.3住基)・8人(H12)・9人(H7)国勢調査
アクセス/【船】観光船(チャーター船)[パナリ島観光
西表島・大原港→上地港(15分)/石垣港→上地港(40分)
概要
新城島は西表島の南東6.3kmの海上に浮かぶ二つの島の総称。北側の長方形の島が上地島、南側の丸い島が下地島。二つの島は干潮時には歩いて渡れる程の浅瀬で繋がり、潮が満ちてくると完全に分かれてしまうため地元ではパナリ(離れ)島と呼ぶ。定期船はないが、石垣島や西表島から日帰りツアーやダイビングで多くの人が訪れる。
ジュゴン
かつて沖縄の海には多くのジュゴンが生息していた。琉球王府はこの新城島に捕獲の許可を与え、特別にジュゴンの干し肉を税として納めさせていた。琉球では古くからジュゴンを食肉とすることもあったが、一方では神秘的な動物としてまた海の守り神として崇める存在でもあった。上地島にはジュゴンを祭った御嶽(神社)がある。今でも一般人は御嶽に立ち入ることは出来ず写真撮影も禁止されている。毎年6月に行われるブーリー(豊年祭)には部外者は島に入ることさえできなくなる。
タカニク
記録では1737年の新城島の人口は705人。タカニクや中森(波照間ムリ)は17~18世紀に造られた烽火台跡で、実際に使用されていた頃にはたくさんの人が暮らしがあった。しかし、昭和の時代には戦争の影響もあり人口減少が加速。昭和38年には下地島が廃村となり、上地島も無人になる手前まで過疎化が進んだ。戦後作られた学校も暫くは子供達の姿を見ることができたが、中学校は昭和38年に西表島の大原中学校に統合、小学校は同50年に廃校となった。
中森
1970年代の始め、リゾート開発の話が持ち上がり、その時放たれたクジャクが野生化し増えすぎて問題になったことがある。現在では駆除が進み、神秘的な島として静かなブームを呼んでいる。

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