●大矢野島(おおやのじま)[
天草諸島]
★天草四郎ゆかりの地
●住所/熊本県上天草市登立、上、中
●面積/29.88km2
●周囲/55.4km
●標高/228.6m
●人口/12,179人(H27)・13,275人(H22)・?(H17)・14,729人(H12)・14,992人(H7)国勢調査(H22・H27は野釜島を含む)
●アクセス/【バス】
熊本桜町バスターミナル→登立(1時間15分)
【車】熊本市→国道57号or266号→天草1号橋→大矢野島(約1時間)
概要
★大矢野島は天草観光の玄関口。面積は天草諸島の中では下島、上島に次いで3番目の大きさで、観光施設も多い。2018年5月に新1号橋(天城橋)が開通し、もともとあった天門橋と2つの橋で宇土半島と結ばれている。
★国道266号線は1号橋から飛岳(229m)と柴尾山(226m)の間を抜けて中心部へ下って行く。温暖な気候で冬でも花き栽培が行われ、島のところどころにあるヤシの木が南国気分を演出する。大矢野島を通過して2号橋(大矢野橋)まで車で約20分。
★島内のホテルや旅館の数は30軒を超え、釣り、ゴルフ、キャンプ、温泉など楽しさ一杯。人気は日本一大きな天草四郎像がある「
藍のあまくさ村」や地元の食材が並ぶ「
物産館さんぱーる」。休日には多くの人が訪れる。
★僅か16歳で一揆軍の総大将に祭り上げられ、島原の原城で37,000の同胞とともに散った天草四郎はこの島で誕生したと言われている。資料に乏しく真偽は不明だが、大矢野島とは深い縁があったことだけは確かなようだ。天草・島原の乱は寛永14年10月25日(1637年12月11日)に勃発、4カ月の攻防の末一揆軍は全滅、大矢野島が無人化してしまうほど壮絶なものだった。物産館の向いにある「
天草四郎ミュージアム」にはその歴史的資料などが展示してある。
★島の南東端にある「長砂連(ながされ)装飾古墳」は“直弧文(ちょっこもん)”という直線と弧線を組み合わせた複雑な紋様がある古墳で、5世紀中期のものと言われている。古くからこの島に何か勢力があったようにも思われるが、歴史上に大矢野の名前が出てくるのは文永・弘安の役(1274・1281)、いわゆる元寇の時のことで、大矢野種保、種村兄弟の活躍が『蒙古襲来絵詞』に描かれている。
★“矢野”とは古語由来辞典には“湿地を表す地名”とある。大矢野島周辺の沿岸部は環境省が定める「日本の重要湿地500」に含まれており、湿地のある大きな島というのが島名の由来のように思える。もともと大矢野氏は筑前原田氏の一族だと言われ、鎌倉時代に地頭としてこの地に赴任したものが地名をもって大矢野を名乗ったもののようだ。
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