熊本県の島天草諸島樋島
樋島
樋島図
樋島(ひのしま)天草諸島
古くから水の島
住所/熊本県上天草市龍ヶ岳町樋島
面積/3.46km2周囲/12.2km標高/232.8m人口/1,140人(H27)・1,339人(H22)・?(H17)・1,732人(H12)・1,924人(H7)国勢調査
アクセス/
【船】三角港→樋島港(1時間2分)
【車】熊本市内→三角→大矢野島→松島(国道266)→樋島(約2時間)
概要
樋島は上天草市の南部にある島。上島と樋島の間には椚島(くぐしま)と坊主島があるため、見る位置によっては陸続きのようにも見えるが、実際には離島で、昭和47年9月に樋島大橋が開通したことで陸路移動ができるようになった。
樋島大橋は全長が174m、車一台分と歩道だけの幅の狭い橋で、入口と出口に信号機が取り付けられ、交互に車が通行できるようになっている。
樋島の「樋」の字は「とい」のことで、雨が降って屋根を流れる水を受け止め、地面の排水溝へと導く管は「雨樋(あまどい)」。樋島は昔から水が豊富な島だったからそういう名前が付いたのだろう。景行天皇が九州巡幸の帰りに、この島で水の補給をしたという言い伝えさえあり、古くは水島と呼ばれていたこともあるという。
立ち寄ったのは景行天皇だけではなく、弘法大師伝説もある。弘法大師とは真言宗の開祖“空海”のことで、日本全国に数え切れないほどの所縁(ゆかり)の地がある。その弘法大師が樋島の南端にある大岩にお経を書いて、そのまま芦北へ向おうと舟に乗ると、一つの文字に点を打つのを忘れたのに気付き、舟の上から筆を投げて完成させたという話がある。「弘法も筆の誤り」の逸話として何処かで聞いたような話だが、その大岩の下に不動神社があり、立派な土俵が作られている。毎年旧暦8月15日になると奉納相撲が行われ、「赤ちゃん泣き相撲」はいつも観客の笑顔を誘っている。
島の北部にある安向山観乗寺は建立が慶長9年(1604年)と古く、浄土真宗の寺としては熊本県内でも有数のものとして挙げられている。
天草は寛永18年(1641年)に徳川幕府の直轄天領になった。天草全土は10の組に分けられ、それぞれに大庄屋(おおじょうや)という役人が置かれた。現在の龍ヶ岳町・姫戸町・御所浦町・倉岳町の辺りを砥岐(とき)組として纏め、最初は棚底村の七右衛門が大庄屋に選ばれたが、その後寛文元年(1661)から慶応4年(1866)までの206年間、樋島村の藤田家が大庄屋としてこの地を治めてきた。島の北部には大庄屋跡が残されている。
天草は地層が古いことで知られているが、この樋島もかつては立派な「アンモナイト」や「イノセラムス」などの化石が見つかっていた。

関連リンク

●日本の島へ行こう熊本県の島天草諸島樋島

龍ヶ岳の宿

18/06/14---Copyright(C) 日本の島へ行こう All rights reserved.