710~784 |
奈良時代 |
種子島、鹿皮百張を年貢として納める。(日本書記) |
1190~1334 |
鎌倉時代 |
種子島家の領地となり、トビウオ漁時期に1~2ヶ月程度小屋に泊り込み漁業基地としていた。 |
1597~1868 |
江戸時代 |
江戸時代の宝暦年間(1751~1764)より、1763年、池田浦、洲之崎浦、塰泊浦の漁業基地(種子島家の借地として、他は平山氏の所有)であった。 |
1763 |
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阿久根にマゲシカ45頭を贈るとの記録有り |
1868 |
明治維新 |
明治維新とともに、三ケ浦の漁業基地以外の土地を禄地として所有していた西之表の士族・平山寛蔵は国に返納した。 |
1872 |
明治5年 |
西之表の士族、武田竜蔵・西村守人・鮫島甚七・河内覚右衛門・平山準平・西村甚五右衛門・八板直前等は、馬毛島全島を借地して、牧畜事業の牛牧社を創設。 |
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明治 |
この借地により、地上権が全島に及んだため、漁業専用地権をもつ三ケ浦と20数年に及ぶ紛争となる。 |
1880 |
明治13年 |
政府の綿羊飼育の試験場となる。 |
1905 |
明治38年 |
国有地を民間に払下げ。 |
1906 |
明治39年 |
牛牧社と三ケ浦との紛争、最終的に解決。 |
1913 |
大正2年3月 |
馬毛島全島の地上権をもつ鮫島甚七は、馬毛島の一切の権利を東京の三浦秦輔に委譲。三浦は国の払い下げを受けて馬毛島を私有地とした。大正4年、相続により三浦直介名義となり、羊の数は550頭~600頭を常に確保していた。 |
1922 |
大正11年 |
鹿博士・八田三郎理博(北海道大学)による馬毛島調査。「金華山、奈良、厳島のごとき神鹿の三名所に比しても、遜色の無い鹿の楽園である。……天然の大鹿苑はわが国最古の鹿苑なれば、目下内務省の鋭意着手しつつある史蹟天然記念物保存の上より言うも、馬毛島の鹿は倍々保護を加えて、之が繁殖を図り、天下一品の大鹿苑を永久に残したいものだ。」(平山武章「西之表百年史」より) |
1924 |
大正13年 |
川西清兵衛(神戸在住)、三浦直介より全島買入れ。譲渡価格は3万2千円であった。 |
1928頃 |
昭和 |
県設禁猟区に指定 |
1941 |
昭和16年12月 |
馬毛島、南方航路の防衛上の補助基地となる。町民の勤労奉仕により岳ノ越に機関砲座をもつトーチカを構築。海軍特設部隊が駐屯。 |
1944 |
昭和19年11月 |
第2時世界大戦末期、海軍の防空監視所の設置に伴い,無人島となる。羊はすべて南種子の川西牧場に移された。 |
1945 |
終戦 |
川西氏より、農地解放により焼く480ヘクタールを政府に返還。市(当時北種子町)が買い上げ。 |
1951 |
昭和26~42年 |
馬毛開拓農協による開墾作業 開田25.74ヘクタール 開畑185.8ヘクタール、計211.54ヘクタール。 |
1951 |
昭和26年 |
☆ 緊急開拓法により、39世帯入植。 主生産物 甘藷・陸稲・養豚 |
1952 |
昭和27年7月 |
馬毛島に、榕城小学校分教所を置き、出張授業を行う。児童数37名。 |
1953 |
昭和28年4月1日 |
榕城小学校馬毛島分校開校。 |
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大井(1953)固有種ホソバアリノトウグサを記載。 |
1955 |
昭和30年 |
国設特別鳥獣保護区に指定。 |
1959 |
昭和34年 |
最盛期113世帯528人、小中学校の設置。 |
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☆ 葉山から八重石にかけての蘇鉄群落、西之表市天然記念物に指定。ホソバアリノトウグサは、私有地内にあるため、指定できず、絶滅の危険にさらされている。 |
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アリモドキゾウムシの発生により甘藷の作付禁止 |
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サトウキビの導入-製糖工場誘致 |
1960 |
昭和35年 |
☆ 「馬毛島植物誌」(佐々木等)種類の多さと北限・南限種の多さを指摘。 |
1963 |
昭和38年11月25日 |
離島振興法により、馬毛島丸就航。(馬毛島丸19トン,長さ14.60メートル工費460万円) |
1965 |
昭和40年 |
製糖工場の閉鎖により離島と出稼ぎにより退島者漸増 |
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国設特別鳥獣保護区に再指定。 |
1966 |
昭和41年7月7日 |
農事組合法人種子島畜産組合設立 |
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12月26日 |
種子島畜産組合 馬毛島開拓農協から採草牧草地 10筆 879.911㎡を取得。 |
1969 |
昭和44年 |
市の方針で、馬毛鹿は全部若狭公園に移された。その時には既に十数頭に過ぎなかった。 |
1970 |
昭和45年12月18日 |
農業振興地域の指定(在島者78世帯284人) |
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西之表市が学術捕獲開始(年間10余頭、3年間)、わかさ公園で飼育。 |
1972 |
昭和47年7月15日 |
南島殖産㈱ 馬毛島開拓農協から12ha取得 |
1973 |
昭和48年3月1日 |
三気造船㈱ 種子島畜産組合から所有権移転登記。のちに農地法違反により移転登記の抹消。 |
1974 |
昭和49年3月30日 |
県、西之表市に対し、農地法第74条の2の規定により134.787㎡を用途公衆用道路(農道)として譲与 |
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作物摂食による被害推定額39ha、620万円。 |
1975 |
昭和50年 |
住友銀行に吸収合併された「平和相互銀行」の関連会社である「馬毛島開発」が馬毛島を買収。 |
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鳥獣保護区指定解除。 |
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1月24日 |
馬毛島開発㈱ 大規模取引等事前指導要綱第2条の規定に基づく事前指導申出書を西之表市に提出。 |
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2月17日 |
馬毛島開発計画審議会条例を制定。2月22日に初会合。 |
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10月6日 |
馬毛島開発㈱、馬毛島開発基本計画再提出(a地区農住地区、b地区レクレーション地区、c地区西側地区) |
1976 |
昭和51年1月12日 |
種子島畜産組合 解散 |
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2月9日 |
市 馬毛島開発計画審議会を開催し,市長に対し馬毛島開発基本計画を答申。 |
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17日 |
馬毛島開発㈱ 大規模取引等事前指導申出書を西之表市に再提出。 |
1978 |
昭和53年11月 |
馬毛島開発推進会事務局「馬毛島石油備蓄基地建設に関する資料」作成 |
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東、マゲシカの生息状況を報告。 |
1979 |
昭和54年1月23日 |
議長に対し、「石油基地反対」陳情(代表 羽生源志) |
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27日 |
議長に対し、「石油基地反対」陳情(代表 池田) |
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2月16日 |
市議会産業経済特別委員会、石油備蓄基地候補地について誘致促進の陳情採択 |
1980 |
昭和55年 |
核施設の計画が最初に浮上。 |
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2月18日 |
西日本新聞「通産省、資源エネルギー庁と石油公団は2月1日馬毛島など4ヵ所を石油備蓄基地の候補地に決定した」旨報道。 |
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3月9日 |
「衆院予算委員会で共産党が平和相互銀行グループの土地買占めを追及」と新聞報道。 |
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4月21日 |
馬毛島、無人島になる。 |
1983 |
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右翼活動家・豊田一夫は、平和相互銀行に馬毛島の土地を自衛隊の超水平レーダー用地として防衛庁に売却するという話を持ち掛け、不正経理によって用意させた巨額の資金を政界へばら撒いたとされている。(馬毛島事件) |
1985 |
昭和60年11月 |
大火発生。(南部草地230ha焼失) |
1986 |
諸和61年 |
馬毛島事件発覚。経営が悪化していた平和相互銀行は住友銀行に救済合併された(馬毛島事件)。 |
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9月24日 |
「イナゴ」の異常発生通報。調査の結果イナゴではなく、トノサマバッタ。 |
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県設鳥獣保護区に指定(10年間) |
1987 |
昭和 |
マゲシカ生態調査会調査開始。馬毛島開発は海洋レジャーランド構想有り。 |
1992 |
平成4年 |
鹿児島市立少年自然の家の無人島体験キャンプ「馬毛島トライ&トライ」開始。 |
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マゲシカ国内最高密度まで増加。中規模死亡のあと、安定化。 |
1995 |
平成7年 |
この年以降、ニュージランド等から、研究者来島。 |
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平成12月 |
住友銀行系の「太平洋クラブ」から、立石建設(本社・東京)に経営権が委譲。その額は、5億とも15億とも。 |
1997 |
平成9年 |
☆ 県設鳥獣保護区に再指定(ただし、異例の1年毎更新になる) |
1998 |
平成10年 |
☆ 馬毛島小中学校が、休校から廃校になる。 |
1999 |
平成11年1月2日 |
浜脇氏(当時種子島漁業組合長、中種子町議)、塰泊の船祝の席上、「馬毛島に核施設立地話があり、県知事も知っている」との発言。 |
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馬毛島開発、馬毛島小中学校跡地の売却を市へ打診。 |
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エジンバラ大ほかによる大隈諸島のニホンジカの遺伝的比較研究開始。永田らによるニホンジカの地域集団区分の再検討結果を発表。 |
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☆ 鹿児島市立少年自然の家の無人島体験キャンプ「馬毛島トライ&トライ」終了を検討。 |
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11月1日 |
『電力時事通信』中間貯蔵施設候補として、「鹿児島県の離島(無人島)」を名指しし、「九州電力を中心に立地の可能性について検討に入る」と報道。 |
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種子島の核施設問題で、住民有志が初会合。 |
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12月 |
藤田祐幸講演会実行委員会発足。 |
2000 |
平成12年1月 |
「核施設をつくらせない市民の会」発足 |
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2月2日 |
藤田祐幸講演会開催。 |
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3月 |
屋久町、核物質・核施設拒否条例制定(30日交付) |
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6月27日 |
南種子町、反対決議。 |
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6月30日 |
西之表市、核物質拒否条例可決。承認。 |
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7月7日 |
鎌田慧講演会 |
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8月8日 |
県、立石建設の馬毛島における採石に許可。 |
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9月2日 |
「馬毛島の自然を守る会」発足。 |
2007 |
兵士19年 |
硫黄島に代わる米海軍空母艦載機の陸上空母離着陸訓練(fclp)に利用が検討されていることが判明 |
2009 |
平成21年 |
沖縄県普天間飛行場の移設候補地の一つとして名前が挙がる |
2011 |
平成23年 |
防衛省は馬毛島を陸上空母離着陸訓練(fclp)施設建設用地とすることを所有者であるタストン・エアポート(株)(※旧名・馬毛島開発(株))と正式に交渉するという合意書を締結 |
2012 |
平成24年 |
防衛省と折り合いがつかない所有者が触手を伸ばす中国企業に売却してもよいと発言したことが話題になる |
2016 |
平成28年11月4日 |
防衛省による用地買収、タストン・エアポート社との契約に目途 |
2019 |
平成31年1月9日 |
防衛省による馬毛島買収が決着する見通しであることが報じられた。 |
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平成31年5月7日 |
タストン・エアポート社は防衛省に馬毛島売却交渉打ち切りを通告。 |
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令和1年11月 |
米軍の空母艦載機が行う離着陸訓練の移転候補地である馬毛島について、政府と地権者が約160億円で売買することで正式合意した。 |