●奄美大島(あまみおおしま)[
奄美群島]
★黒糖焼酎と島唄
●住所/鹿児島県奄美市/大島郡(龍郷町、大和村、宇検村、瀬戸内町)
●面積/712.82km2
●周囲/461.0km
●標高/694.4m
●人口/57,511人(R2)・59,828人(H27)・64,107人(H22)・68,617人(H17)・71,827人(H12)・73,643人(H7)国勢調査
●アクセス/
【船】[
マリックスライン][
A''Line マルエーフェリー・奄美海運]
鹿児島港→名瀬港(約11時間)/ 東京→名瀬港(約37時間)
神戸→大阪→名瀬港(約40時間)
【飛行機】[
JAL]
奄美空港
鹿児島→奄美空港(約1時間20分)/大阪(伊丹)→奄美空港(約1時間40分)
東京(羽田)→奄美空港(約2時間30分)
概要
★日本には大島と名が付く島は多いが、その中では奄美大島が最大になる。本土4島と北方領土を除くと、大きい順に沖縄本島、佐渡島、そして奄美大島と続く。
★鹿児島市から南へ約380km。地図で見ると沖縄県に含まれてもよさそうだが、藩政時代に薩摩藩の直轄地になった経緯などにより、その後の明治政府による廃藩置県で鹿児島県の行政下に置かれた。
★もともと奄美地域には統一国家のようなものは無く、15世紀初頭に統一された琉球王国によって統治されることになるのだが、1609年の島津氏の琉球侵攻以降は薩摩藩(島津氏)の直轄地(植民地化)として支配を受け続けた。奄美では琉球統治時代を“那覇世(ナハンユ)”、薩摩統治時代を“大和世(ヤマトユ)”と時代を分けて表現することがある。さらには太平洋戦争敗戦により本土と行政分離された昭和21年2月2日から昭和28年12月25日までのアメリカ統治時代を“アメリカ世”と呼ぶ。
★奄美の文化は沖縄のそれと混同されがちだが、やはり本土の影響を受けて発展した部分が多々ある。例えば沖縄の赤い瓦の屋根に守り神のシーサーといった風景は奄美諸島には見られない。また地元で歌われる民謡も沖縄よりもどこか物悲しさを感じさせるものが多い。それは薩摩藩の圧政、特に幕末の“黒糖地獄”と呼ばれる時代を耐え抜いてきた思いが込められているからだと言われる。
★奄美大島を代表するものは、大島紬や黒糖焼酎が挙げられる。年配の方なら大島と言っただけで、大島紬を思い浮かべる人も多いかもしれないが、和服離れが進むなかで次第に廃れてきているのが現実だ。しかし地元では成人式に大島紬を着る若者が増え、伝統を絶やさないという根強い気持ちもあるようだ。
★奄美地方というと天気予報の地域区分で使われることが多く、奄美群島の北に連なるトカラの島々も含まれる。高温多湿で平均気温が20℃を超える亜熱帯海洋性の気候で、全国で最も年間日照時間が短い地域と紹介されている。
★固有の生き物は特別天然記念物のアマミノクロウサギや天然記念物のルリカケス、オオトラツグミなどが挙げられる。いずれも絶滅危惧種として存続が危ぶまれている。
★2002年「ワダツミの木」でデビューし、音楽シーンに旋風を巻き起こした“元ちとせ”さんは瀬戸内町の出身。
★『
小湊フワガネク遺跡群とソテツ群落(pdf)』「
島の宝100景」
★2010年10月20日、記録的集中豪雨により河川の氾濫等が発生し、床上浸水401棟、床下浸水490棟、死者2名、軽症1名の被害がでている。