広島県の島安芸群島倉橋島
桂ケ浜
倉橋島地図
倉橋島(くらはしじま)安芸群島
遣唐使船の古里
住所/広島県呉市音戸町/倉橋町
面積/69.56km2周囲/約70km標高/490.7m
人口/17,034人(H27)・18,952人(H22)・19,565人(H23.4住※鹿島含む)・22,222人(H12)・24,116人(H7)国勢調査
アクセス/【呉市営バス】JR呉駅→清盛塚(25分)→倉橋本浦(59分)
概要
音戸大橋
上空から見るとイビツなメガネのような音戸大橋(おんどおおはし)。呉市街地から国道487号線を南下してこの橋を渡ると倉橋島に入る。
大橋が架かる「音戸の瀬戸」は長さは600m、幅は一番狭いところで90m程しかなく、1167年に平清盛が西に沈む夕日を金の扇で強引に呼び戻し、一日で切り開いたという伝説の海峡だ。橋の袂(たもと)には1184年に建立されたと伝わる供養塔「清盛塚」がある。
音戸の渡し船
毎日たくさんの車に利用される音戸大橋だが、徒歩で渡るには不便なこともあり、海峡には昔ながらの渡し舟が活躍している。音戸渡船は航路が僅か100m程しかないことから「日本一短い定期船」というキャッチフレーズで、毎朝5時半から夜の9時まで随時運航。瀬戸の急流に押し流されながら進む渡船は音戸の名物になっている。
遣唐使船
安芸国は古代より造船が盛んな地域だったが、特に倉橋島には船大工が多く、この島で遣唐使船が造られたともいわれている。「長門の造船歴史館」には復元された遣唐使船や現代に繋がる木造船の模型が展示され、島の歴史を垣間見ることができる。2005年には上海万博に向けて「遣唐使船再現プロジェクト」が進められたが、復元された遣唐使船は大阪を出航し、倉橋島にも寄港している。1300年の時空を超えて出現した遣唐使船に古代のロマンを感じる瞬間だった。
736(天平8)年には遣新羅使の一行がこの島に立ち寄ったとされ、その時に詠んだ歌8首が万葉集に収められている。歌からは倉橋島が古くは「長門の島」と呼ばれていたことや、今と同じように松原が続いていたことなどがわかる。桂が浜の松原には「万葉集史蹟 長門島之碑」と刻まれた石碑が建てられている。
スキューバ、釣り、歴史の島、島巡りの後に桂浜温泉館で疲れを癒すというコースも楽しそうだ。

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18/09/24---Copyright(C)日本の島へ行こう All rights reserved.