●生野島(いくのしま)[
上大崎群島]
★のんびり生野
●住所/広島県豊田郡大崎上島町東野
●面積/2.26km2
●周囲/12.5km
●標高/158.9m
●人口/17人(H27)・27人(H22)・35人(H17)・41人(H12)・50人(H7)国勢調査
●アクセス/
町営フェリー「さざなみ」竹原→(30分)→大崎上島・
白水港→福浦港(15分)
概要
★生野島は大崎上島の北約400mに位置する。東西に小高い山が聳え、真ん中が括(くび)れ、佐渡島を小さくしたような形をしている。江戸時代には芸州藩の放牧場として使われ、馬島と呼ばれていたこともあった。南側の福浦港に定期船が就航。
★島内からは縄文土器などの古代の遺物や古墳が見つかっている。月ノ浦、草浦、かんね、福浦などは古墳があった場所だが、現在、形として確認できるものは
箱式石棺古墳の福浦古墳だけ。町文化財に指定。
★椎実(しいのみ)観音堂の創建は文化3年(1806)。現在の建物は昭和46年に再建されたもので、本堂には安政5年(1858)に造られた馬頭観音石像が安置されている。
[足利浄圓師・迦洞無坪・種田山頭火]
★昭和7年に僧・足利浄圓(あしかが じょうえん)が来島し、翌年、新しき村「同朋園」を開き、柑橘栽培と布教活動を始めた。昭和10年、“新しき村”に共鳴した陶工の迦洞無坪(かとうむへい)が島に移住。そして、放浪の俳人・種田山頭火が2度にわたり無坪を訪ねている。「同朋園」は浄圓の理想郷だったが、図らずも戦争によって志半ばで活動中止に至った。
[戦後]
★昭和21年に国の緊急開拓政策により121戸が入植、柑橘栽培を中心に開拓が進められ、ミカンの島として人口も増えたが、昭和の終わりにはミカン栽培は衰退していった。
★人口減少と耕作放棄地が増えるなか、島の有効活用として島全体を自然休養村とし、サイクリングロードやシャワー設備のある海水浴場、10棟のバンガローを備えたキャンプビレッジなどが整備され、来島者増加に期待が寄せられた。しかし、老朽化や採算の問題等で現在は活用が検討されている状態。