●戸島(とじま)[
宇和海諸島]
★ねずみ騒動
●住所/愛媛県宇和島市戸島
●面積/2.82km2
●周囲/17.2km
●標高/191.0m
●人口/279人(R2)・307人(H27)・361人(H22)・425人(H17)・451人(H12)・509人(H7)国勢調査
●アクセス/[
盛運汽船]
[高速船]宇和島港→蒋渕(こもぶち)→戸島(本浦)港(53分)→小内浦(こじうら)港(4分)
[普通船]宇和島港→嘉島→小内浦港(1時間25分)→戸島(本浦)港(13分)
概要
★宇和海に伸びる蒋渕半島(三浦半島)の先端から西へ約1km、ふぶしの瀬戸を挟んで浮かぶ島。平地は少なく全体的に急峻な地形が続き、集落は北側に郡(こおり)、季節風を避けるように南東側の入り江に本浦と小内浦(こじうら)がある。
★江戸時代に宇和島藩の保護政策のもとにイワシ網漁が盛んになり漁業の島として発展。戸数の増加で島名が「渡島」から「戸島」に変わったといわれている。
★戦後の昭和25年には人口2,794人を数えピークに達した。その後人口は減少、主産業だったイワシ網漁は衰退し、昭和30年代には真珠貝の養殖、同40年頃からはハマチやブリの養殖が始められ、近年では全国でも有数の生産高を誇るようになった。「戸島一番ブリ」のブランドで出荷もされている。
★一方、山の斜面に段々畑が作られるなど農業も行われていたが、昭和24年に起きたネズミの大発生は周辺地域を巻き込んで甚大な被害を出し、後に「ねずみ騒動」と語り草になるほどだった。終息したのは12年後のことで、このことが農業が振るわない要因にもなっている。
★本浦の龍集寺には島民から「一条様」「宮様」と拝まれる一条兼定の墓がある。一条兼定は土佐一条家の当主でキリシタン大名として知られ、天正2年(1574)に長曽我部氏との戦いに敗れた時にこの島に身を隠し、11年後の天正13年に亡くなっている。キリシタンとは無縁の島のお寺で大切に供養されているというのも面白い。
●遠戸島(とおどしま)[
宇和海諸島]
★ヘビの島?
●住所/愛媛県宇和島市戸島
●面積/0.17km2
●周囲/2.4km
●標高/124.0m
●人口/無人島
概要
★遠戸島は戸島の南端から南東へ約300mほど沖にある無人島。南側は高さ50mほどの海食涯が囲んでいる。
★昭和31年に戸島の本浦地区住人が入植したが、ネズミの被害に悩まされ同40年には撤退している。
★ネズミ退治のために放たれたヘビが繁殖しているという噂が広まりあまり近づく人はいない。