●怒和島(ぬわじま)[
忽那諸島]
★レモンと陶器の里
●住所/愛媛県松山市元怒和/上怒和
●面積/4.79km2
●周囲/13.5km
●標高/205.7m
●人口/278人(R2)・354人(H27)・446人(H22)・498人(H17)・661人H12)・762人(H7)国勢調査
●アクセス/[
中島汽船株式会社]
[高速船]
高浜港→
中島→上怒和港(43分)→元怒和港(13分)
[フェリー]
三津浜港→高浜港→中島→
二神島→津和地港→元怒和港(2時間3分)→上怒和港(23分)
概要
★怒和島は松山市の北西海域に点在する忽那(くつな)諸島の有人島の一つで、
津和地島と
中島の間に位置する。
★東部に上怒和、西部に元怒和と2つの集落があり、それぞれ「陶器の里」、「レモンの里」というキャッチフレーズがある。全体的に山がちで斜面ではレモンやみかん等の柑橘類の栽培が行われ、北部の宮ノ浦の平地には畑がある。かつてはこの宮ノ浦にも集落があったが、耕地を増やすために住家を南部に移し、比較的なだらかな北側の土地を耕作地として広げた。平成12年に宮ノ浦で行われた発掘調査では、奈良時代から平安時代にかけての土器や中世の遺構などが見つかっており、古くからこの地に集落があったことがうかがえる。
★産業は柑橘類の栽培と漁業が主で、周囲の海は釣りのポイントとして知られており、入り江を生かしてヒラメやアワビの養殖も行われている。
[島の伝説]
丸子姫伝説…その昔、大晦日の晩に西国の大名を乗せた船が暴風に遭い、潮に流されて丸山鼻(丸子鼻?)の沖合いで沈没。その船には丸子姫という美しいお姫様が乗っていて、未練を残したまま船共々海に消えてしまった。この祟りか、旧暦の大晦日の晩になると丸山鼻の海上に怪しい火が灯ったり、丸子姫の亡霊が出ると言う伝説がある。周囲は潮の流れが速く、危険であることを警告する話として語られたものだろう。
生木の地蔵…元怒和の永寿山延福寺の裏手には、お地蔵様が彫られているクスノキがある。昔、延福寺に宿を借りたお坊さんがお礼に彫ったといわれるもので、生の木に彫られているのは珍しく、病気の治癒願いに効くというのでお参りに来る人も多いという。
●クダコ島[
忽那諸島]
★かつては城塞
●住所/愛媛県松山市宇和間
●面積/0.06km2
●周囲/1.8km
●標高/52m
●人口/無人島
●アクセス/チャーター船
概要
★怒和島と南東にあるクダコ島の間は大物のタイやブリが狙える好漁場だが、潮の流れが速く危険な海域でもある。その瀬戸を見守るためにクダコ島に灯台が建てられたのは明治36年のことで、以来ずっと光を放ち続けている。この灯台にもかつては灯台守がいて、職員が宿舎として使う退息所が怒和島に建てられていた。戦後灯台の無人化に伴いその役目を終えたが、文化的価値を認められて平成10年に香川県高松市の四国民家博物館に建物が移築され保存されている。
★クダコというのは中世の頃この島を拠点にしていた水軍の呼び名で、忽那家文書には「久田子衆」や「九多児衆」と記されている。島内から南北朝時代(1336~1392年)のものと思われる城塞跡が見つかっており、島城の様子が推察されている。さらに時代は遡って10世紀の頃には藤原純友の出城が築かれていたという話もある。