●安居島(あいじま)[
忽那諸島]
★潮待ち・風待ち、賑わいの後・・・
●住所/愛媛県松山市安居島
●面積/0.26km2
●周囲/3.5km
●標高/55m
●人口/15人(R2)・20人(H27)・24人(H22)・26人(H17)・40人(H12)・57人(H7)国勢調査
●アクセス/[
(有)新喜峰]【フェリー】
北条港→安居島港(35分)
概要
★四国北西部、愛媛県今治市がある半島を高縄半島といい、その西側に広がる海は斎灘(いつきなだ)と呼ぶ。安居島は斎灘のほぼ中央に位置する。南東約2.5kmには無人島の小安居島が有るくらいで、他の島々とは距離を置いて孤立した感じで浮かんでいる。
★島全体を雑木林が覆い、南側に集落がある。斜面の僅かな土地に自給の畑があり、小規模な漁業が島を支えている。
★長い間井戸水に頼る生活が続いていたが、平成7年に待望の水道設備が完成し、定期船で運ばれてくる水を各家庭に供給できるようになった。
★江戸時代のはじめ頃は、漁師が風待ちなどで島影に避難したり上陸していた。当時、広島藩と松山藩の間で所領争いが度々起こり、話し合いで松山藩の領地に落ち着いた。
★安居島の発展は、文化14年(1817年)に大内金左衛門という人が浅海村(あさなみむら:現在の松山市浅海原の辺り)から入植したことにより始まった。金左衛門が港の整備を行ったことで、潮待ち・風待ちで立ち寄る船が増え始め、幕末から明治期にかけて遊郭が出来るほどに賑わった。港の西側にある古びた観音堂の横には悲恋話として伝わる「遊女みどり」の墓(石碑?)がある。また、姫坂神社の近くには島の開拓者として大内金左衛門の碑が建てられている。
★その後、造船技術の発達と共に風待ちの港としての役割を終えたが、昭和に入り海運業で再び発展を見せ、昭和30年には人口532人を数えた。しかし、それをピークに年々島を離れる人が増え、現在では高齢化と過疎が進む。