●友ケ島(ともがしま)[沖ノ島・地ノ島・虎島・神島]
★要塞と修験道
●住所/和歌山県和歌山市深山
●面積/沖ノ島:1.47km2/地ノ島:1.12km2
●周囲/8.1km
●人口/住民登録無し
●アクセス/[
友ケ島汽船]
和歌山市・加太(かだ)港→友ケ島港(約20分)
概要
★和歌山市北部の加太と淡路島南東部の由良の間は幅が10kmほどの紀淡海峡と呼ばれる海域で、大阪湾と紀伊水道を繋ぐ海上交通の要衝とされる場所。そこに浮かぶ4つの島、沖ノ島、地ノ島、虎島、神島の総称を“友ケ島”と呼ぶ(沖ノ島だけを“友ケ島”と呼ぶこともある)。
★三韓征伐を終えて帰途に着く神功皇后が瀬戸内海で嵐に遭い、海に漂う苫(とま)に導かれてこの島に辿り着き難を逃れたことから「苫ケ島(とまがしま)」と呼ばれるようになり、それが転じて「友ケ島」になったという。苫(とま)というのは「菅(すげ)や茅(かや)などを粗く編んだむしろ」(大辞泉)。沖ノ島の深蛇池(しんじゃいけ)の周りにたくさん生える菅や茅を見て、苫を作る材料がたくさんある島として「苫ケ島」と呼ぶようになったのかもしれない。
★古くから修験道の行場として知られ、法華経28品が納められた葛城二十八宿の第一宿が置かれる場所。それは
虎島の序品窟(じょほんくつ)という洞窟の中にあり、ここから修行が始まる。序品窟の北側に「禁殺生穢悪・友島五所・観念窟・序品窟・閼伽井・深蛇池・剣池」の文字が刻まれた岩盤がある。これは紀州藩主・徳川頼宣の命により彫られた「五所の額」というもので、友ケ島の5つの行場を刻んだもの。虎島は干潮時に歩いて渡ることができるが、潮が満ちてくると戻れなくなるので注意が必要。
★神島は古くは淡嶋と呼ばれ淡嶋神社が祀られていた。淡嶋は日本神話における「国産み」でイザナギとイザナミの二神が「おのころ島」で創ったとされる島(神)で、沖ノ島を「おのころ島」としたところから語られるようになったものと思われる。そして、淡嶋神社は仁徳天皇によって現在の加太に遷座されたと伝わり、全国に数ある淡島(粟)神社の総本山となっている。
★地ノ島は沖ノ島と並ぶ大きさで、オン越ノ鼻や屋敷浜といった地名もあることから何か物語りがありそうだが、東端の鼻に高さ9.5mの灯台が立つ以外にこれといった情報も無く存在感が薄い島。
★紀淡海峡は大阪湾の出入り口に当ることから明治20年代になると軍事的防御の拠点として淡路島の由良を中心に砲台が築かれるようになり、友ケ島では虎島に堡塁、沖ノ島には5つの砲台や軍事施設が造られている。結局、太平洋戦争が終わるまで使われることはなく、今では廃墟となったレンガ造りの倉庫や砲台跡が観光客を呼んでいる。
★友ケ島は瀬戸内海国立公園内にあり、展望台からの景色は絶景。そして、「おのころ島伝説」、「淡嶋伝説」、「深蛇池伝説」、「行者伝説」、「要塞の島」、更には「東経135度の日本標準時子午線が通過する日本最南端の地」等々神秘に満ちたパワースポット。基本的には無人島だが、夏にはキャンプ場や宿泊施設もオープンする。
関連リンク
和歌山市/和歌山市加太観光協会
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