●紀伊大島(きいおおしま)
★アメリカとトルコの記念館
●住所/和歌山県東牟婁(むろ)郡串本町大島/須江/樫野
●面積/9.68km2
●周囲/28.0km
●標高/171.3m
●人口/891人(R2)・940人(H27)・1,104人(H22)・?人(H17)・1,515人(H12)・1,665人(H7)国勢調査
●アクセス/[
熊野交通]【バス】串本駅→樫野(40分)
概要
★本州最南端・潮岬(しおのみさき)の東約1kmに位置する島。紀伊大島や串本大島と呼ばれる。架橋されており、県道40号線から「苗我島(みょうがじま)ループ橋(386m)」、 そして「くしもと大橋(290m)」を渡り南国の雰囲気漂う大島へと入る。温暖な気候で、花卉(き)や柑橘類の栽培、漁業が盛ん。釣りやダイビングに訪れる人も多い。世界で初めてクロマグロの完全養殖に成功した近畿大学の養殖実験所があることでも知られている。
★標高171.3mの大森山が最高点。穏やかな印象を受けるが、南東側の海岸は海食に削られた複雑な地形と奇岩の風景が広がる。特に海金剛と名づけられた岩場は、別名「魔女の髪すき岩」とも呼ばれ、三角に尖った巨岩の間に波が打ち寄せる景色は訪れた人の目を釘付けにする。
★東端の樫野埼(かしのざき)灯台は「日本の灯台の父」とも言われるリチャード・ヘンリー・ブラントンが日本で最初に手がけた灯台で、明治3年に初点灯した日本最初の石造り灯台。
★米国東インド艦隊司令長官ペリーが浦賀沖へ来航し開国を求めたのは1853年のことだが、その62年前の1791年に大島の樫野浦へ寄港して交易を求めたアメリカの帆船がある。ジョン・ケンドリック船長率いる「レディ・ワシントン号」と「グレイス号」。この時日本は鎖国の只中で交易も成立しなかったが、アメリカの公文書には日米の勇気ある最初の接触として記録されている。1975年には上陸を記念して「日米修交記念館」が建てられた。
★明治23年(1890年)9月16日、トルコ(当時オスマン帝国)の軍艦「エルトゥールル号」が熊野灘沖で難破し、大島の樫野付近に漂着。乗組員656人のうち生存者は僅か69名という痛ましい事故が起きた。その時、樫野の住民が必死で生存者を救出、手厚く介護したという記録があり、これを機にトルコと日本の親交が始まり、トルコ軍艦遭難慰霊碑やトルコ記念館も建てられた。今でもトルコ共和国との共催で5年ごとに殉難将士慰霊の大祭が行われ、両国の交流が続けられている。
●通夜島(つやじま)
★徹夜で名が付いた?
●住所/和歌山県東牟婁(むろ)郡串本町
●面積/0.3km2
●周囲/4.2km
●標高/34m
●人口/無人島
●アクセス/大島白野漁港から船(約40m)
概要
★紀伊大島の南側、白野漁港の目の前にある無人島。
★縁起が悪い名前だが、お葬式とは関係ないようで、三韓征伐で有名な神功皇后が忍熊皇子(おしくまのみこ)に謀反を企てられ、この島に身を隠した時に住人が夜を徹して見守ったことから名が付いたと伝えられる。
★現在の通夜島は釣り人が磯に上陸するぐらいであまり訪れる人もなく、竹ヤブやシイなどの木々が荒れるに任せた状態で生い茂っている。かつては熱帯性観葉植物が栽培されたり畑が耕されたりしていた時期もあったが、今では当時の小屋が廃屋として残っているだけ。