●八丈島(はちじょうじま)[
伊豆諸島]
★江戸から遥か島流し
●住所/東京都八丈町
●面積/69.48km2
●周囲/51.3km
●標高/854.3m
●人口/7,042人(R2)・7,613人(H27)・8,231人(H22)・8,837人(H17)・9,488人(H12)・9,476人(H7)国勢調査
●アクセス/[
東海汽船][全日空(
ANA国内旅行)]
[客船」東京・
竹芝桟橋→
三宅島→
御蔵島→八丈島(11時間)
[飛行機]東京・
羽田空港→
八丈島空港(50分)
[ヘリコプター(
東邦航空)]
八丈島空港を基点にして、
青ヶ島、
御蔵島、
三宅島、
利島、
大島とアクセスしています。
概要
★東京から南へ290km、今でこそ飛行機に乗れば1時間もしないうちに着いてしまう八丈だが、江戸時代の頃は「鳥も通わぬ八丈島」と言われ、島抜けも叶わない流刑の地だった。天下分け目の“関が原”で西軍に組した宇喜多秀家が流されたのを始めとして、近藤重蔵の長男、近藤富蔵が隣人7人を切り殺した罪で流されるなど武士や知識人を含め、江戸時代の260年間でおよそ1,900人が流されたという。本土から遠く離れた絶海の孤島は、その特異な環境から独特の風俗や風習が生まれ、今に続く文化として引き継がれている。
★八丈島は北緯33度06分、紀伊半島の先端にある紀伊大島と同緯度にあり、温暖で亜熱帯植物が茂る南国情緒豊かな自然の楽園。この自然を満喫するには、23haの敷地に約140種類5,000本の植物が楽しめる「八丈植物公園」。間近に八丈小島が望める溶岩原「南原千畳岩」。八丈小島のビューポイントとして知られ、新東京百景にも指定される「登龍峠の展望」。南側の絶景ポイント「名古の展望」。八丈定番の景色「八丈富士」等が挙げられる。
★また、島内には20以上の散策路とそのお勧めコースがあり、自然をじっくり味わいながらのトレッキングやハイキングが楽しめるようになっている。植物公園内のビジターセンターで情報を提供している。
★八丈島の歴史や風土を知るには「歴史民俗資料館」。流人がおにぎり一個と引き換えに石を積み上げたと伝えられる島役所跡の「大里玉石垣」。昔の住居の様子が残された「ふるさと村」。江戸幕府の御用船預かり役だった「服部屋敷」。名物黄八丈の製造工程が見学できる「黄八丈染元」等がある。
★島の特産品は草木染めで有名な「黄八丈」。食べ物ではクサヤや焼酎が定番。『
黄八丈(pdf)』「
島の宝100景」。
●八丈小島(はちじょうこじま)[
伊豆諸島]
★源為朝自害の地
●住所/東京都八丈町
●面積/3.08km2
●周囲/8.70km
●人口/無人島(昭和44年6月全戸離島)・91人(昭和44年4月)・513人(天保年間:1830~1844年)・423人(安永年間:1772~1780年)
●アクセス/八丈島から釣り船などで渡る
概要
★八丈島の西側に子供のように寄り添っているのが八丈小島。周囲が9km程の小島だが、標高616.8mの太平山が聳えている。
★室町時代にはすでに集落があったと伝えられ、保元の乱(1156)で活躍した源為朝が自害した場所として為朝神社が置かれている。江戸時代には人口が513人達した記録があり、島の北西と南東に二つの集落があった。その後も定住は続き、昭和22年10月の地方自治法施行によって二つの集落は島打村と宇津木村となった。島の生活は厳しいながら漁業や畜産、テングサの採取などで生活が営まれていたが、経済成長に取り残された島での生活は次第に定住者を減らし、昭和44年には全島民の離島が決まり、6月には完全に無人の島になった。
★無人島になってからは残されたヤギが繁殖を続け、草木が食い荒らされることで引き起こされる土壌の崩落が近海の養殖や漁業に影響を及ぼすようになり、駆除が叫ばれるようになった。そして、しばらく続いた“ヤギの楽園”も2001年ころから捕獲が進むようになり、次第に元の自然が取り戻されてきている。
★もともと八丈小島は磯釣りやダイビングのポイントが多いことで知られ、上陸する人も多い。島内には浜小屋や小学校跡などが廃墟として朽ちるままに残されており、2000年に公開された映画「バトルロワイヤル」のロケ地になった。