●渡鹿野島(わたかのじま)[
志摩諸島]
★歓楽島
●住所/三重県志摩市磯部町渡鹿野
●面積/0.69km2
●周囲/6.0km
●標高/29.1m
●人口/160人(R2)・219人(H27)・247人(H22)・308人(H17)・392人(H12)・502人(H7)国勢調査
●アクセス/[県道船]的矢→渡鹿野島(3分)・三ヶ所→渡鹿野島(3分)[民間船]和部→渡鹿野島(3分)・他旅館の送迎船
概要
★志摩半島東端、的矢(まとや)湾の喉仏のようにあるのが渡鹿野島。伊勢神宮や伊雑宮(いざわのみや)から近いこともあり古代から知られる島だった。江戸時代には風待ち・避難港として栄え、宿や遊郭ができ、船乗りを相手にする把針兼(はしりがね)と言われる遊女達も出没し、「女護ヶ島」と呼ばれるような歓楽の島となった。
※「把針兼(はしりがね)」とは、期間を定めて船乗り達に春を売る水上遊女達のことで、暇な時には繕いなどの針仕事も兼ねたことからこう呼ばれた。
★現在でも風俗の島としてのイメージは強いが、公園や海水浴場などの整備も進められ、普通に観光が楽しめる島にしようという試みもなされている。
見どころ
仏石…船の安全を願って海に身を投げた遊女を供養するために建てられたが、現在、石塔はなくなり侵食された岩が数本仏像のように立っている。
おこり石…腰掛けたりいたずらをしたりすると祟りがあるといわれている。
夜泣き松…夜泣きのひどい子供でも、この松葉を寝床に敷くと夜泣きが止まると伝えられる松の木。
絆の碑…八重垣神社にある。太平洋戦争当時予科練の若者達が集った証しとして建てられた。終戦間近の昭和20年3月、特攻基地建設計画が米軍に察知され、激しい爆撃を受け多くの犠牲者を出したことに対する鎮魂の意味も込められている。