京都府の島蛇島
蛇島
蛇島(じゃじま)
佐波賀を襲った大蛇
住所/京都府舞鶴市字佐波賀面積/0.02km2/周囲/0.6km標高40m人口/無人島
アクセス/遊覧船有り(舞鶴観光ネット
概要
関西の北の玄関口として栄えた舞鶴港は軍港色の強い港だ。特に東港は明治期より日本海軍の重要港湾としての地位が確立し、日露戦争の日本海海戦時には多くの軍艦がこの港から出航している。蛇島と烏島は東港の出口に位置し、丸くて小さい方が烏島、縦長で大きい方が蛇島。東港に寄港する船は皆この二つの島の横を通過して行く。
明治30年に軍港用地として買い上げら、大正13年にガソリン庫、昭和17年に地下タンクなどが島内に造られている。
敗戦直後の昭和20年8月24日、青森の大湊から約4,000人の朝鮮人を乗せて入港直前、この島の北西沖で謎の爆沈を遂げ、多くの犠牲者を出した。同53年に殉職碑が佐波賀に建てられている。
由来
はるか昔、佐波賀の集落が子ナギと呼ばれる谷にあった頃、村人は夜な夜な海を渡ってくる大蛇に悩まされていた。そこで村人は対岸にある雲門寺の和尚に相談すると、和尚は村人を二つに分けて避難させ、だれもいなくなった村に大蛇をおびき寄せて懲らしめて退散させてしまった。以来、村人は谷を挟んで上佐波賀と下佐波賀に分かれて住むようになり、大蛇が棲んでいた島を蛇島と呼ぶようになった。
天正年間(1573~1592)に逸見駿河守の島城があった。逸見駿河守とは若狭武田氏の一族とされる逸見宗全のことで、永禄の武田氏内紛で織田信長へ逆心した武将の一人とされている。当初、逸見様の城があるということで逸見島(へんみじま)と呼ばれていたものが「へびじま」に変化し「蛇」の字が当てられ、蛇島になった。

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