●猿島(さるしま)
★東京湾の見張り番
●住所/神奈川県横須賀市猿島
●面積/0.05km2
●周囲/1.6km
●標高/40m
●人口/0人
●アクセス/
京急横須賀中央駅(徒歩10分)/
JR横須賀駅(徒歩20分)→三笠桟橋→猿島(10分)
概要
★京急本線横須賀中央駅東口を出て、横須賀新港方面へ10分ほど歩くと東郷平八郎の銅像と戦艦三笠が横たわる三笠公園がある。その公園脇の三笠桟橋から猿島へ向う定期船がでている。
★東京湾には台場や富津沖の海堡(かいほ)などいくつかの人工島があるが、猿島は東京湾に浮かぶ唯一の自然島。その証拠に島内からは縄文時代の土器片や弥生時代の人骨や壺が出土している。古くは近くに小島が点在していたようで、簡単に渡ってこれる場所だったのかもしれない。今では多くは埋め立てなどで無くなってしまい猿島だけになってしまった。
★島の北端に弥生時代の遺物が見つかった洞窟がある。この洞窟は日蓮洞窟とも呼ばれ、日蓮上人が安房国から鎌倉へ渡る際、嵐に遭い方角を見失った時に、一匹の白猿が島へ導びき難を逃れたとされる場所で、猿島の名前の由来にもなっている。
★浦賀水道は古くから海上交通の要衝として捉えられてきたが、19世紀になり外国船の脅威を肌で感じるようになった幕府は、1847年に猿島にも砲台を築いた。3カ所の台場に、15門の大砲が据えられたという。
★6年後の1853年7月8日にはペリー率いるアメリカ艦隊が浦賀に入港した。数日間足止めされたペリーは周辺の測量調査を行ったが、その時の地図に猿島のことをペリーアイランドと記している。
★明治期になると新政府は幕末の尊皇攘夷運動から一転して開国、富国強兵策が推し進められ、明治17年(1884)には猿島にも本格的な洋式要塞が造られた。
★日清・日露の戦争に勝利した日本は軍国主義思想が台頭するようになり、第一次大戦を経て太平洋戦争へと突入する。昭和16年に猿島にも高射砲が築かれ敵機の襲来に備えるも一度も使われることなく敗戦を迎えた。当時猿島は砲台を備えた姿から「軍艦島」とも呼ばれた。
★敗戦とともに高射砲は米軍により撤去され、昭和32年に海水浴場がオープン。平成5年には管轄の問題で一時閉鎖されたが、今では横須賀の定番観光地として賑わいを見せている。
★砂浜での海水浴やバーベキュー、岩場での釣り、北へ伸びる散策路を通って要塞跡や日蓮洞窟などが見学できる。ただし、安全管理上島内に泊まることはできない。基本的に夕方5時の船で全員撤収ということになる。