兵庫県の島沼島
沼島
沼島地図
沼島(ぬしま)
おのころ島
住所/兵庫県南あわじ市沼島
面積/2.73km2周囲/10.3km標高/117.2m
人口/360人(R2)・430人(H27)・506人(H22)・600人(H17)・669人(H12)・746人(H7)国勢調査
アクセス/[沼島汽船]淡路島・洲本港→沼島漁港(52分)/淡路島・土生(はぶ)港→沼島漁港(10分)
概要
沼島港
沼島は淡路島の南約4kmの紀伊水道に浮かぶ漁業の島。兵庫県の最南端に位置し気候は温暖で、西側の入り江に港と集落がある。東側は海に迫る崖が続き、点在する奇岩は磯釣りのメッカ。
オノコロ神社
『古事記』や『日本書紀』に伝わる「国産み」ではイザナギ、イザナミの二神が「天の浮橋(高天原)」に立ち、「天の沼(ぬ)矛」で青海原を掻き回し引き上げると、矛先から滴り落ちた雫が島となり、そこから日本の国産みが始まったと伝えている。この雫でできた島は自ら凝り固まったことから「自凝(おのころ)島」と呼ばれた。
上立神岩
沼島は古くから“おのころ島”の有力な候補地とされ、イザナギ、イザナミを祀る「おのころ神社」が置かれ、上立神岩は「国産み」に登場する「天の御柱」、平碆岩を「八尋殿」だとする話もある。
梶原五輪石は鎌倉時代初期に造られた梶原景時の墓だと伝えられるもの。梶原景時は平家方にもかかわらず石橋山の戦い(1180年)で敗走する源頼朝を救い、後に鎌倉幕府の重職に就いた武将。歌舞伎の世界では義経を讒言により追い詰めた張本人として大悪人とされる人物。
五輪石
頼朝の死後、景時は鎌倉を追われ、正治2年(1200年)1月20日、野武士との戦闘で一族共々非業の死を遂げる。一族の中で生き残った景義あるいはその子景行が沼島城主となり島を治めたといわれ、景時を弔う為に五輪石が建てられたと伝わる。
だんじり祭り
元弘の乱(1331)にまつわる話として伝わる「沼島女郎」。梶原景時の末裔・梶原俊影が永享8年(1436)に創建したとされる沼島八幡神社など歴史探訪には事欠かない島。『ダンジリ海に突入-沼島八幡神社春祭(pdf)』で「島の宝100景」。

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