●篠島(しのじま)
★鯛、歴史、観光
●住所/愛知県知多郡南知多町大字篠島
●面積/0.93km2
●周囲/6.7km
●標高/48.1m
●人口/1,518人(R2)・1,653人(H27)・1,763人(H22)・1,878人(H17)・2,040人(H12)・2,220人(H7)国勢調査
●アクセス/[
名鉄海上観光船]
【高速船】
師崎(もろざき)港→篠島(10分)/
河和(こうわ)港→日間賀島→篠島(30分)【フェリー】 師崎港→篠島(20分)
概要
★篠島は知多半島と渥美半島の先端、三河湾の入口にある観光と漁業の島。
★周囲7km弱、最高点標高48.1m。平坦だが坂が多く、島歩きは大変。しかし、小高い丘から眺める知多半島や渥美半島、そして夕日に映える小島の景色は“東海の松島”と言われ、三河湾国定公園の中でも代表的な景観を誇る。古くから伊勢、三河の海上交通の要所で、漁業が盛んで活気があった。
★伊勢神宮を創建したとされる倭姫命(やまとひめのみこと)は篠島に立ち寄った際、豊かな自然を愛でられ、この島の鯛を贄(にえ)として捧げるように定めたとされている。毎年10月12日の「御幣鯛(おんべだい)奉納祭」には、特別に調理された鯛が伊勢神宮へ奉納される。『
伊勢神宮に奉納される「御幣鯛」』で「
島の宝100景(pdf)」。
★時は南北朝時代の1338年9月、後醍醐天皇はその勢力を固めるため、義良親王(後の後村上天皇)に奥州派遣を命じた。伊勢から船出した親王一行は暴風雨に巻き込まれ、この篠島に漂着し半年ほど滞在したといわれている。その時に飲料水としたのがこの井戸水で、後に「帝井(みかどい)」と呼ばれるようになったと伝わる。
★加藤清正は築城の名手と言われ名古屋城築城の際にも天守台の石垣を築いた。石垣は篠島から多くが切り出され船で運ばれたが、この「清正の枕石」は枕木に乗せられて海岸まで運ばれたが、あまりの巨大さに船に乗せることができずにそのまま放置されてしまったもの。
★港の反対側にある前浜海岸(サンサンビーチ)は白砂の浜が1km続く人気の海岸で毎年夏になると多くの人が訪れる。
★島の周囲は岩場が多く磯釣りに訪れる人も多い。港にある海上釣り堀「つり天国」(4月1日~9月30日)も人気。(
篠島釣り天国)