大分県の島豊後諸島黒島
黒島
黒島地図
黒島(くろしま)豊後諸島
オランダとの架け橋
住所/大分県臼杵市大字佐志生(さしう)
面積0.20km2周囲/3.0km標高/27.4m
人口/4人(H27)・5人(H22)・?人(H17)・6人(H12)・7人(H7)国勢調査
アクセス/【船】尾本漁港→黒島(3分)[黒島荘の送迎]
概要
佐賀関半島の南側、佐志生尾本港の沖合い200m。南東側には途切れ途切れに800mほど防波堤が続き、その先に点々と三ツ子島が並ぶ。大分県には佐志生の他にも津久見湾や佐伯市米水津(よのうづ)の沖合いにも黒島がある。どの島も小さな無人島に類するもので、シイなどの常緑樹が生い茂って黒く見えることから黒島と名付けられたものだと思われる。
リーフデ号
1600年(慶長5年)、関が原の戦いが始まる半年ほど前の4月19日、1隻の帆船が臼杵湾に漂着した。これが日本史の教科書にも登場するウィリアム・アダムスやヤン・ヨーステンを乗せたオランダの商船「リーフデ号」だ。当時、世界の海はスペインやポルトガルが支配するところだったが、そこへ分け入ってきたのがオランダやイギリスだった。1598年、リーフデ号は他の商船4隻と共に、新たな貿易地を求めてオランダのロッテルダムを出航した。しかし、途中で幾多の困難に遭遇し、太平洋をさまよい、やっとの思いで極東の地へ辿り着いたのはリーフデ号1隻のみだった。これが初めて日本を訪れたオランダ船で、その船に乗り合わせたウィリアム・アダムスは日本を訪れた最初のイギリス人だった。豊臣政権から徳川の時代へと変わろうとしていた日本の地へ、これから世界の海を支配するオランダの船やイギリス人が現われたのは象徴的な出来事のように思える。
ウィリアム・アダムス
リーフデ号の上陸地については諸説あるようだが、豊後沖に漂着したことは間違いがなく、昔からこの黒島に上陸したと伝えられてきた。黒島には上陸を記念して、ウィリアム・アダムス(三浦按針)とヤン・ヨーステン(耶楊子)の胸像、記念碑、資料館、公園があり、2000年4月には日蘭交流400周年記念式典のために臼杵を訪れたオランダの皇太子が黒島にも渡って、先人の像に献花を行い偉業を称えている。
黒島へは「旅館 黒島荘」の渡船「島丸」が尾本漁港と黒島の間を随時運航している。黒島海水浴場はシャワー完備で、2006年には「快水浴場百選」に選定されている。また、キャンプ場にはバンガローや貸しテントもあり、季節にはたくさんの人で賑わう。

関連リンク

臼杵市臼杵観光協会

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部屋数18(6畳~30畳)
Tel.0972-68-3939

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