沖縄県の島大東諸島沖大東島
沖大東島
沖大東島
沖大東島(おきだいとうじま)大東諸島
別名・ラサ島
住所/沖縄県島尻郡北大東村
面積/1.15km2周囲/約4.5km標高/34m人口/無人島アクセス/ラサ工業株式会社の企業私有地であり、射爆撃場となっていることから一般人は立ち入り禁止
概要
沖縄県東端、大東諸島の南端にある無人島。南大東島の南約160kmに位置する。ラサ島とも呼ばれる。サンゴ礁の島特有の形。周囲は20mほどの断崖が囲み、中央部分がくぼんでいる。
【歴史】
・16世紀半ばにスペイン人B・デ・ラトーレがMai Abrigoと命名。
・17世紀の欧米の地図にはAmsterdamの名がある。
・18世紀後半の地図には、北米の西海岸を帆船で探検したアメリカ人ケンドリックにちなみ、ケンドリック島の名も見られる。
・「ラサ」(ラテン語系言語で「平らな」の意)の名はフランス軍艦カノニエル号が、文化4年(1807)この島の位置を測定した際に命名したと言われている。
・明治25年には海軍軍艦「海門」が調査、上陸して標木を建てる。その際、アホウドリの群棲を確認している。
・同31年には水谷新六(南鳥島の発見者)がアホウドリ捕獲のために探検を実施。
・同32年には中村十作(人頭税廃止に尽力)が上陸。
・同33年9月に沖大東島の名称で日本領土となる。
・同39年、南大東島を開拓した玉置半右衛門が15年間の無償開墾許可を得て調査を開始。島の表面積の約90%を覆う燐鉱床の存在が明らかになった。
・同44年、恒藤規隆(つねふじのりたか)農学博士らによってラサ島燐礦合資会社が設立される。燐鉱石から肥料の原料となる過燐酸石灰を製造する業務を開始。最盛期には採掘従事者約2,000人を数え、戦前の30年間で計160万tの燐鉱石が搬出され、島の表土がすべてなくなったといわれている。
・昭和15年には中央気象台ラサ島測候所が開設され、太平洋戦争開始後は同17年に海軍の望楼、同19年には陸軍守備隊が置かれた。
・同20年1月、住民は完全引き揚げ、守備隊も10月には武装解除して無人島化した。
・同21年、南北大東島に初めて村制が敷かれ、燐鉱石の出る島ということで同じく燐鉱石を産する北大東島に編入された。以降定住者はなく、同31年からは米軍の射撃演習場として利用されているが、同54年に実施された現地調査により、約350万tと推定される燐鉱が残存すると考えられている。
・平成元年、同村による現状踏査と漁業資源調査が実施された。
・同24年には南西小島の北西にある岩礁が領土基線を有する離島として「西南西小島」と命名される。
(以上、Shimadas参照)

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