熊本県の島天草諸島湯島
湯島地図
湯島(ゆしま)天草諸島
談合島
住所/熊本県上天草市大矢野町湯島
面積/0.52km2周囲/6.5km標高/104.1m
人口/293人(H27)・374人(H22)・419人(H17)・474人(H12)・505人(H7)国勢調査
アクセス/[湯島商船:時刻表(上天草市)]
大矢野島・江樋戸(えびと)港→湯島(30分)※1日5便
島原半島・須川(西有家)港→湯島(30分)※週3便
鯛釣り
熊本の人に湯島のことを尋ねると、鯛釣りの話を聞かされる。毎年春先に海水温が上がりはじめる頃、産卵のために浮上してきた上がり鯛を狙って湯島沖へ出かけるそうだ。また別の人は秋口から冬にかけて脂が乗ってきた大物鯛を狙って沖へ出るという。湯島周辺は昔から天然鯛の一本釣りが有名なところだ。養分をたくさん含んだ海水が早崎瀬戸から有明海へ流れ込み、そのプランクトンを食べて育った小エビや小魚を狙って鯛が群れる。
名前
湯島
島原半島の南東端にある原城跡から天草を眺めても、天草四郎のふるさと大矢野島の西端から島原を眺めても、海の真ん中には長閑に浮かぶ湯島が望める。お椀を伏せたような台形の島。昔の人が弓を横にした形を連想し“弓島”と呼び、いつの間にかそれが変化して“湯島”となったと言われている。そして史上最大のキリシタン一揆「天草・島原の乱」の作戦が練られたことから「談合島」とも呼ばれた。
一揆
天草四郎陣中旗
原城跡
天草・島原の乱は寛永14年10月25日(1637年12月11日)に島原の有馬村で勃発。重税と過酷とも言える取り立て、そしてキリシタン弾圧、さらに凶作が重なって、島原・天草の領民の間に燻っていた火種が一気に燃え上がり、キリシタン一揆として爆発した。この湯島(談合島)で練られた作戦なのか、僅か16歳の天草四郎を総大将に据え、天草にいた一揆軍も加わり快進撃を続けた。しかし、次第に数を増す制圧軍に迫られ撤退を余儀なくされ、かつて有馬氏の居城だった原城に集結、篭城を始める。原城を取り囲む制圧軍の数は12万にも膨れ上がり総攻撃を受けた原城は落城した。一揆が勃発してからおよそ4ヶ月後の寛永15年2月28日(1638年4月12日)、一揆に加担したキリシタン及び領民およそ3万7,000人は全滅して反乱は終結した。その後暫くは島原も天草も人影が途絶えたと言われるほど壮絶なものだった。
談合島の碑
かつて惨劇を目の当たりにした湯島の頂上には公園があり「談合島の碑」が建てられている。現在の湯島は周囲に釣り船が浮かぶ平和な島。そして亜熱帯植物のアコウ樹が茂る温暖な島。特産品はワカメ、サザエやアワビ等の魚介類。また甘みのある湯島大根。
湯島の町並み
湯島灯台
頂上
港の眺め
あるお
西海岸

関連リンク

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