山口県の島向島
錦橋
向島
向島(むこうしま)
タヌキの島?
住所/山口県防府市大字向島
面積/8.09km2●周囲/約16km標高/354.1m
人口/1,091人(R2)・1,297人(H27)・1,521人(H22)・1,710人(H19)3月末住基
アクセス/[防長バス]JR防府駅→向島(19分)
概要
向島は防府市の三田尻中関港にある島。本土側の新田や浜方と幅100m前後の中関瀬戸で隔てられている。かつては風待ちとして利用されるような沖に浮かぶ島だったが、元禄12年(1699)に始まった毛利氏による干拓事業で浜が迫ってきたもの。江戸時代の中期以降は全国でも有数の塩田地帯となり、三田尻の港も大いに発展を見せた。
タヌキのモニュメント
中央に錦山(354m)が聳え、北側の中関瀬戸に沿って集落が広がっている。小型底引網による漁業や段々畑でのミカン栽培が盛んで、広葉樹林に覆われた森には多くのタヌキが生息することで知られていた。餌が豊富で天敵がいなかったことからいつの間にかホンドタヌキが居つくようになり、一時期はその数2万頭とも言われ、大正15年には「向島タヌキ生息地」として国の天然記念物にも指定されていた。今では架橋により野犬が増えたことが影響して地元の人でも姿を見ることができないほど数を減らした。今でも島の入り口にあるタヌキのモニュメントが訪れる人をひょうきんに迎えてくれる。
錦橋
本土とを結ぶ錦橋は昭和25年(1950)に架橋された。昔は瀬戸を行き交う船も多く、大型船でも通れるように90度回転する旋回橋になっている。現在では船の数も減り、また車の増加などで橋が回転するのは月に1度あるか無いかで、回転した橋を見れるのもなかなか難しいようだ。
向島運動公園
現在、向島運動公園がある場所はかつては日本専売公社の工場が置かれていた。明治38年(1905年)の塩専売法の施行で各地にその施設が造られるようになり、向島にも大正7年に製塩工場が置かれた。しかし戦後になると輸入や製塩方の進歩により塩の過剰生産が起こり整理が進められるようになった。そして昭和35年には向島製塩工場が廃止となり、江戸時代から260年続いた三田尻製塩の歴史に幕が下ろされた。その後工場は葉タバコ工場へと変わったが、昭和44年には対岸へと移転となり、その跡地に運動公園が造られた。
三田尻という地名は港や地域名として残されているが、奈良時代には国府が置かれた地で、向島は周防国府の向かいにあることから名付けられた。発展を見せたのは江戸時代に毛利氏が軍港や商港として開発したことによる。この港から出荷される塩は北前船で東北や北海道まで運ばれた。現在は自動車の輸出港としての役割が多い。

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向島に宿はない

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