山口県の島船島[巌流島]
funashima_ph.jpg(10460 byte) 巌流島
船島
船島(ふなしま)[巌流島]
巌流島の決闘
住所/山口県下関市大字彦島字船島
面積/0.10km2周囲/1.6km標高/12.7m人口/無人島アクセス/[関門汽船・森造船]
下関・唐戸桟橋→巌流島(10分)/門司港→巌流島(10分)
下関・彦島江の浦桟橋→巌流島(3分)
概要
宮本武蔵と佐々木小次郎の「巌流島の決闘」はあまりにも有名だが、実際に巌流島がどこにあるのかを知る人は意外と少ないようだ。巌流島は本州と九州を隔てる関門海峡にある小島で、下関市彦島の東側約400mに位置し、正式名称は船島という。
巌流島の決闘
後世の脚色や創作で真実の程は分からないが、江戸時代の始め頃にこの島で決闘があったのは事実のようだ。そしてそれが伝説となり歌舞伎や浄瑠璃として演じられたことで広く世間に知れるところとなり、佐々木小次郎の号とされる岩流(がんりゅう)の響きが決闘のシーンにマッチしたことから舞台は「巌流島」といういことになったものと思われる。元文2年(1737年)に大坂で演じられた藤川文三郎作の歌舞伎の外題が「敵討巌流島」とあることから、江戸時代の半ば頃には船島は“決闘の巌流島”となっていたことが分かる。
船島が現在のような形になったのは埋め立てによるもので、江戸時代は北側の僅かな部分しかなく、名前のように沖に浮かぶ小舟のような島だった。南側の海域には豊臣秀吉が遭難したという「与次兵衛ヶ瀬」という岩礁があり、船の航行には危険な場所とされていたが、大正期にそれも砕かれ船島の一部となった。
埋め立てられてからはコレラ患者の療養施設が置かれたり、太平洋戦争後に30戸ほどの居住があったが、昭和48年には再び無人島になった。
武蔵と小次郎像
現在の船島は南側が開発を行った三菱重工業(株)の所有地で、北側3分の1は下関市の所有となっており、平成15年のNHK大河ドラマ『武蔵MUSASHI』の放映に合わせて公園化が進められ、武蔵と小次郎の銅像や巌流島文学碑、人工海浜やバーベキューサイトなどが置かれ憩いの場となっている。

関連リンク

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船島に宿はない

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