広島県の島似島峠島
似島空撮
似島図
似島(にのしま)
広島湾の富士山
住所/広島県広島市南区似島町
面積/3.87km2周囲/13.6km標高/277.8m
人口/694人(R2)・790人(H27)・919人(H22)・1,248人(H12)・1,424人(H7)国勢調査
アクセス/【フェリー】[似島汽船]広島(宇品)港→似島港(20分)
概要
安芸小富士
広島港から沖を眺めると美しい稜線の山が見えるす。「安芸小富士(あきのこふじ:標高278m)」と呼ばれる似島の山だ。島の南側には下高山(しもたかやま:標高203m)、周りには厳島、江田島、能美島などが取り囲み瀬戸内海の美しい景観を作り出している。
集落は西側の家下地区に集中しており、1650年頃、広島本土から農家三戸が移り住んだことが始まりだとされている。江戸時代は船荷の積み替え港として利用されていたことから「荷の島」と呼ばれたこともあったが、古くは、「二の島」「見の島」「似の嶋」「箕島」などの表記もあり、結局、富士山に似た山があるということから付けられた似島に落ち着いたようだ。
軍の島------------------------------------------------
明治期になり広島が軍都化される中、明治28年、日清戦争の帰還兵のために似島検疫所が設けられた。検疫所は昭和33年まで存続したが、日露戦争や第一次世界大戦時には捕虜収容所が併設されたり、原爆被災時には約1万人もの負傷者が運び込まれ野戦病院として利用された。島内には当時の遺構や原爆犠牲者の慰霊碑がある。
戦後--------------------------------------------------
似島学園
昭和21年…第一検疫所の敷地内に「広島県戦災児教育所似島学園」が開設。現在は社会福祉法人「似島学園」が運営されている。
昭和24年…家下にあった小・中学校が馬匹検疫所跡に移転。
昭和40年…第二検疫所跡に「養護老人ホーム平和養老館」が開設。
昭和59年…「似島臨海少年自然の家」が開設。体育館・宿泊施設・浴場・キャンプ施設・アスレチック場・テニスコート・海水プールなどがある。
産業------------------------------------------------
ガット船
似島は「砂利船の島」と言われるように、砂利の採石運搬業が盛ん。戦後の復興にも貢献して昭和30年代後半は採石船(ガット船)の保有数が全国一と言われるまでになり、似島の人口も昭和41年3月末の集計では2,953人を数えピークに達した。最近は採石船も人口も減少傾向でひと頃の活況は薄れているが、それでも採石船は似島の主産業として頑張っている。
似島の周りには牡蠣の養殖筏がたくさん浮かぶ。“似島カキ”は広島の牡蠣の中でも良質だと評判。
その他------------------------------------------------
「日本におけるバウムクーヘンの発祥の地」…第一次大戦時に捕虜として似島に送られたドイツ人カール・ユーハイムが収容中に焼いたバウムクーヘンが日本で初めてのものだったと言われている。
「日本で初めてのサッカー国際試合」…1919年、似島のドイツ人捕虜と広島高等師範学校(現広島大学)の生徒が広島市内で行ったサッカーの試合は日本で初めての国際試合だった。また、似島中学の教師がサッカー日本代表に選ばれたり、1970年には似島中学のサッカー部が全国大会で準優勝した。
峠島
峠島(とうげしま)
販売価格2億円
面積/0.21km2周囲/2km標高/129.1m人口/無人島
似島の東約1.5kmにある無人島。平成2年の国勢調査では人口1人の記録がある。2億円で売りに出された。

関連リンク

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