愛媛県の島越智諸島鵜島能島・鯛崎島
鵜島
鵜島地図
鵜島(うしま)越智諸島
急潮渦巻く
住所/愛媛県今治市宮窪町鵜島
面積/0.76km2周囲/4.4km標高/84.0m
人口/23人(H27)・33人(H22)・38人(H17)・46人(H12)・58人(H7)国勢調査
アクセス/大島・宮窪港→鵜島(10分)
伯方島・尾浦港→鵜島(15分)
概要
荒神瀬戸の渦
鵜島は伯方島と越智大島の間にある島。全国でも有数の急潮が渦巻く瀬戸に囲まれ、南西には戦国時代に村上水軍の根城となった能島がある。兵糧奉行所、船奉行所、北浜代官所、見張所、造船所、鵜島城など島内に遺構が残され、能島とともに村上水軍の拠点となっていたと考えられている。
室町時代、将軍足利義満がこの島に放した番(つがい)の鵜が繁殖したことが島名の由来と伝わる。また、かつては佐島村の支配下に置かれており、左島(佐島)に対して右島(鵜島)となったという説もある。
江戸時代には織田信長の末裔である織田家が島の組頭を勤め、四代目の織田権四郎が明和9年(1772)に建立したとされる「お堂」が残されている。「お堂」は三十三観音の第1番寺堂で、阿弥陀如来像が本尊。
宇佐八幡大神宮は誉田別命(ほんだわけのみこと:応神天皇)、長足媛命(ながたらしひめのみこと:神功皇后)を祭り、拝殿には文政13年(1830)奉納の献額がある。
産業は柑橘類や島らっきょの栽培が盛んで、大島や伯方島へ働きに出る人もいる。進む過疎と高齢化が課題。
能島、鯛崎島
能島(のしま)・鯛崎島(たいさきじま)越智諸島]
能島村上水軍
住所/愛媛県今治市宮窪町
面積/0.02km2周囲/0.8km標高/31m人口/無人島
概要
能島と鯛崎島は鵜島と越智大島の間にある小島。
能島は周囲600mほどの小さな無人島。周囲は潮の流れが速く、中世には村上水軍の根城「能島城」が築かれていた。信州が起源だとされる村上氏は、瀬戸内海へ移り、能島、来島、因島の3つの家に分立。能島は能島村上氏の拠点となっていた。
能島城三の丸発掘
島内には本丸跡や桟橋跡など能島城の遺構が残っており、昭和28年に国指定史跡となる。
毎年桜が咲く頃には桜まつりが行なわれ、普段は静かな島も祭りの時には渡船が出て賑やかになる。
鯛崎島
鯛崎島は能島の南に連なる周囲200mほどの小島。水軍城が築かれていた頃は能島と橋で繋がっていた。現在は頂上に弁財天があり、毎年夏には「弁財天祭り」が催され、上陸してお参りができる。
鯛崎島の南端にはお地蔵様が。クジラのお礼参り。

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18/12/04---Copyright(C)日本の島へ行こう All rights reserved.