静岡県の島犬走島
犬走島
犬走島(いぬばしりじま)
ペリーが眺めた島
住所/静岡県下田市
面積/0.005km2周囲/0.3km標高/39.9m
人口/無人島アクセス/伊豆急下田より徒歩20分
(近くに無料の駐車場あり)
概要
黒船図
下田へ上陸するペリー隊
1854年3月31日(嘉永7年3月3日)、徳川幕府はアメリカ合衆国と日米和親条約(神奈川条約)を締結し、下田と箱館(函館)を開港した。条約締結後、アメリカ艦隊は続々と下田へ入港。ポーハタン号を旗艦とするペリー艦隊は全部で7隻、乗組員の総数は1,265名だった。条約で下田湾に浮かぶ犬走島から7里(約27.5km)以内をアメリカ人が自由に往来できる範囲と定めたことから、2ヶ月余りの滞在中に水兵達は3~4人のグループで頻繁に上陸して下田界隈を散策、町民との触れ合いも友好的に行った。
犬走島
下田湾の中程に浮かぶ犬走島は下田公園下のフェリー乗り場から伸びる長い防波堤で陸地と繋がっている。この防波堤は昭和41年に完成したもので、鵜島防波堤や西防波堤と呼ばれ、長さはおよそ350m。休日ともなるとたくさんの人が釣り糸を垂らす防波堤釣りのメッカで、サビキ釣りの発祥地だという話もある。因みに“犬走島”という珍しい名前は、「昔イヌワシが棲んでいたのが由来」とする説があるが確かなことはわからない。
島はふた瘤ラクダの背中ような形をしており、真ん中の括(くび)れに防波堤と繋がるトンネルが開いていて、そこを抜けると更に短い防波堤があり、その先に白い灯台が立っている。灯台のプレートには「下田港 西防波堤灯台 初点 昭和46年3月」とある。
中世の頃は水軍の拠点、江戸時代には千石船の風待ちの湊、幕末には鎖国が終わる最初の開港地、昭和の時代には親子連れが釣り糸を垂れる長閑な港。犬走島は昔から下田湾のシンボルとして時代の変遷を見続けてきた島だ。

関連リンク

下田市役所

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19/05/21---Copyright(C)日本の島へ行こう All rights reserved.