三重県の島志摩諸島答志島
答志島
答志島
答志島(とうしじま)志摩諸島
寝屋子が育つ島
住所/三重県鳥羽市桃取町/答志町
面積/6.98km2周囲/26.3km標高/167.0m
人口/1,657人(R2)・1,975人(H27)・2,379人(H22)・2,687人(H17)・2,981人(H12)・3,224人(H7)国勢調査
アクセス/[鳥羽市営定期船]佐田浜港(鳥羽港)→答志島(25分)
概要
鳥羽市の4つの有人島の中で面積が最大で人口が最も多いのが答志島。産業は漁業が中心で、来島者も多く旅館や民宿などの観光業も盛ん。
歴史は古く、縄文や弥生時代の土器が多く出土しており、古墳もたくさん見つかっている。なかでも岩屋山古墳は横穴式石室がほぼ完全な形で残されている円墳で、石室の天井には3メートルを超える巨大な石が5~6枚使われ、頑強な造りをしている。
織田信長と豊臣秀吉に仕えた武将に「九鬼嘉隆(くきよしたか)」という人がいる。別名・海賊大名と呼ばれた人で、鳥羽・志摩を中心に水軍を率いて活躍していた。信長の命を受け鉄甲船を造り、毛利軍を打ち破ったことは有名。その後関が原で西軍に味方し、敗れてこの島で自刃したと伝えられている。九鬼嘉隆の首塚と胴塚が遺されている。
男子が中学を卒業すると数人が集まって一緒に寝泊りする「寝屋子(ねやこ)」という制度が残されている。寝るとき以外は自宅に戻って食事をしたり仕事をしたりする。結婚するまで、もしくは27歳になるまで続けられ、これにより地域の結束や特色が守られてきた。かつては西日本の漁村、また鳥羽地区全体にも多くあった制度だが、現在では生活様式の変化などに伴い数を減らし、この答志島の答志地区にしか残っていない。市の無形民俗文化財。
八幡神社の神祭』「島の宝100景」。

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