京都府の島年取島
年取島
年取島(としとりじま)
小島で交わされた友情
住所/京都府舞鶴市字吉田面積/0.003km2周囲/0.2km標高/18m人口/無人島アクセス/舞鶴市役所前から吉田へ※国道27号→国道175号→府道601号(車で約2時間30分)
概要
年取島は舞鶴西港の西岸にある吉田漁港の入り口に位置する小島。府道601号を北上し、喜多から大君トンネルを抜けると吉田に至る。静かな海に牡蠣の養殖筏が並び、時折見え隠れする白い航跡が長閑な景色を演出する。
都から丹後の地に左遷された中院通勝(なかのいんみちかつ)と丹後舞鶴を治めた細川幽斎(藤孝)が大晦日にこの小島で和歌を興じ合い、気が付けばいつの間にか年が明け、また一つ歳を取ってしまったと幽斎が詠じたことから年取島と名付けられたと伝えられる。
中院通勝がこの地に配流になったのは天正8(1580)年のことで、細川藤孝が織田信長の命で一色義道を滅ぼし宮津に城を構えたのもこの年。通勝24歳、藤孝46歳。二人の出会いの時期は不明だが、藤孝が幽斎と号したのは本能寺の変(1582)の後、田辺城に隠居してから。恐らく年取島の話しはその頃の事だと思われる。幽斎は年取島に小庵を設け、そこで通勝に和歌を教え、共に興じて時を過ごしていたのだろう。
通勝は慶長4(1599)年に赦され京に戻ることになるが、その時に交わした歌がある。
 忘れなよ翔ならへし友鶴の 飛とり雲井に立ち帰るとて
(幽斎)
 帰るべき雲井にたどる友鶴は 元の海辺を立ちははなれじ
(通勝)
高さ18m程の年取島の頂上には弁天様を祀る祠があり、毎年7月の第一土曜日には祈願祭が行われる。

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