岩手県の島オランダ島
オランダ島
大島(おおしま)[オランダ島]
ブレスケンス号事件
住所/岩手県下閉伊郡山田町境田町
面積/0.03km2周囲/1km標高/42m人口/無人島
アクセス/山田港の沖約1.5km。
概要
オランダ島空中写真
山田湾の真ん中に浮かぶ大島と小島。大島の別名がオランダ島、小島はかつて女郎島と呼ばれていたことがある。これは江戸時代初期に起きた事件に由来している。
江戸幕府の鎖国完成から4年を経た1643年(寛永20年)、新たな貿易ルートと伝説の金銀島発見を目指してインドネシアのバタヴィアを出帆した2隻のオランダ船、カストリクム号とブレスケンス号が八丈島近海で暴風雨に遭遇。互いを見失い、一方は蝦夷へ、もう一方のブレスケンス号は難を逃れてこの山田湾に寄港した。
ブレスケンス号の模型
突然現れた異国船に人々は驚き、役人等数名が小舟で近づくと、意外にもすんなりと船内に招かれ酒を振舞われたり、物々交換に応じたりと互いに友好的に接したという。翌日、ブレスケンス号は静かに湾を離れたが、そのひと月半後には水と食料を求めて再び山田を訪れた。当時の日本は鎖国体制の厳しさが増していた時代。盛岡藩はブレスケンス号が訪れたことで沿岸の巡視を強化し、上陸した異国人は捕らえよとの通達を出していた。そこへ再び現れたブレスケンス号に対して藩の役人はなんとか船員を捕らえよう画策し、小島に多くの女郎を集め、歓待と見せかけて油断したところを捕らえたのだ。船に残された船員達は異変を知ると慌てて湾を立ち去ってしまったが、捕獲された船長含め10名の乗組員は盛岡で取り調べを受けた後、江戸へ送られオランダ人であることが判明すると捕縛を解かれ、長崎から無事に帰国が許されたという。
この出来事から350年後の1993年7月に山田町で記念祭が催され、オランダ島に記念碑が建立された。そして2000年5月には、かねてより交流のあったオランダ・ザイスト市と正式に友好都市関係が締結された。

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山田町山田町観光協会

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19/07/15---Copyright(C)日本の島へ行こう All rights reserved.