石川県の島舳倉島
舳倉島
舳倉島地図
舳倉島(へぐらじま)
海女(あま)の島
住所/石川県輪島市海士町
面積/0.55km2周囲/5.1km標高/12.5m
人口/66人(R2)・105人(H27)・110人(H22)・100人(H17)・164人(H12)・239人(H7)国勢調査
アクセス/[へぐら航路輪島港→舳倉島漁港(1時間30分)
概要
能登半島の輪島港から北へ約48km、万葉集にも詠われた海女の島。標高12.5mの平坦な島。西部は複雑な地形の崖が続き、東部の穏やかな入り江に港や集落がある。
歴史は古く、西側中央部の深湾洞(ふかわんどう)遺跡からは弥生時代のナイフや槍形の石器が出土している。また、南西部にあるシラスナ遺跡は5世紀半ばから8世紀後半にかけての複合遺跡で、古い層からは貝塚やアシカの骨、8世紀頃の遺跡からは製塩土器や牛の骨が発掘され、ここで“殺牛祭神の儀礼”が行われていた可能性も指摘されている。
「沖つ島 い行き渡りて 潜(カヅ)くちふ 鰒珠(アワビタマ)もが 包みて遣(ヤ)らむ」。大伴家持がこの歌を詠んだのは国守として能登に赴任していた天平感宝元年(749)のこと。“沖つ島”というのは舳倉島のことで、単身赴任の家持が「沖の島の海に潜って採るという鰒珠(真珠)を手にすることができたら、大切に包んで妻に送ってやるのだが・・」と都に残してきた妻への想いを詠んでいる。家持が活躍した天平の時代には既にアワビやサザエ等の魚介類が豊富な島として知られていたようだ。
ケルン
舳倉島の特徴として神社と石積みが多いことが挙げられる。神社は北から恵比寿神社、無他(多)神社、金比羅神社、八坂神社、奥津比咩神社、大和田神社、弁天神社、神明宮(伊勢神社)、それに観音堂や法厳寺分院なども含め島全体に拝所が点在し、社の周りには防風の石積みが見られる。そして、海岸には奇妙なケルンが並ぶ。
奥津比咩神社の鳥居
舳倉島の総本社とされる奥津比咩神社(オキツヒメジンジャ)は福岡県に伝わる宗像三女神の一柱・田心姫(たごりひめ)が祀られ、永禄年間(1558~70)に筑前国宗像郡鐘ケ崎から13人の海女達がこの地に漂着して海女漁を広めたという話と呼応している。また、この神社に伝わる海獣葡萄鏡は能登半島の付根にある寺家遺跡出土の鏡と同笵とされ、舳倉島が古代の国家的祭祀場だった可能性も指摘されている。
漁業の島、海女の島として知られる舳倉島だが、昭和30年代までは年間を通じての定住者は少なく、漁の時期だけ島で暮らす季節定住者(島渡り)がほとんどだった。そして昭和32年に離島振興対策実施地域の指定をうけインフラの整備が進められたことで定住者を増やしたが、自然の厳しさ等から島を離れる人も増え、現在は人口減少とともに少子高齢化が進んでいる。
本土から遠く離れた小島の観光に訪れる人は少ないが、磯釣りとバードウォッチングは人気。

関連リンク

輪島市輪島市観光協会

●日本の島へ行こう石川県の島舳倉島

19/04/20---Copyright(C)日本の島へ行こう All rights reserved.