●鯛島(たいじま)[陸奥弁天島]
★風化しても鯛
●住所/青森県むつ市脇野沢
●面積/0.016km2
●周囲/0.5km
●標高/24m
●人口/無人島
●アクセス/[
シィライン]青森→脇野沢港(55分) /
[
むつ湾フェリー]蟹田港→脇野沢港(1時間)
[車]むつ市→(国道338号)→脇野沢(約1時間)
概要
★下北半島の西の玄関と言われる脇野沢。愛宕山(あたごやま)公園に登って海を見渡すとちょっと変わった形の島が目を引く。尾ビレを立てて泳ぐ鯛の形の島、名付けて鯛島。鯛島は脇野沢港から2kmほど南へ下った牛ノ首岬の沖合いにある。島内に弁財天が祀られていることから弁天島とも呼ばれ、脇野沢のシンボルになっている。
★頂上には高さ12mの陸奥弁天島灯台がある。昭和20年1月初点灯。胴に太い黒帯が1本ある。遠くから見るとクジラの潮噴きに見えなくもないが、尾ビレが垂直に立っている姿はやはり鯛。しかしこの尾ビレ岩、風化で崩壊が始まっているという。そのうち尾びれが崩れて“くじら島”と呼ばれる日が来るのかもしれない。
★背中にある弁財天には征夷大将軍“坂上田村麻呂”にまつわる伝説が残されている。蝦夷(東北)征伐でこの地を訪れた田村麻呂は、村の娘と恋仲になり子を孕ませてしまう。しかし、田村麻呂は役目を果たすと都へ戻ってしまい、残された娘は恋しさのあまり悲嘆に暮れ、子供を生んだ後自ら命を絶ってしまう。哀れんだ村人は少しでも田村麻呂に近づけるようにと鯛の形をした島に娘を葬むったが、島の周囲では遭難が続き娘の祟りだと恐れられるようになった。後の南北朝時代、都落ちした藤原藤房がその話を聞き、鎮魂のために建てたのがこの弁財天だと言われている。
★因みに坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)(758~811年)は平安時代初期に蝦夷(東北地方)征伐で活躍した武人で、この時の働きが後の武士の尊崇するところとなり、征夷大将軍という地位は武士の棟梁、ひいては国を支配する者という意味を持つようになった。